とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

ポコモコ王国からの招待状

 先週の『女甲冑騎士さんとぼく』に「中学生は”団”が好き」という話があった。

tonarinoyj.jp

 私が中学生のころも、”団”、流行ってました。SOS団とか、ワサラー団とか、モンハンのなんかそういうのとか。あとや団(SMA NEET Project)。

『女甲冑騎士さんとぼく』の「ぼく」がゾッとしているように、今では痛々しいふるまいとしてインターネットでは揶揄されるようになってしまった”団”だが、大昔には大人が本気で面白いと思ってやっていた”団”もあるようだ。

 その名も「ポコモコ王国貴族団」。

ポコモコ王国第十一回二月会議御招請状。

(ポコモコ発)ポコモコ王国第十一回会議が発令されました。

王国紳士と淑女におかせられましては、万障お繰合せの上御参集のほどを願いあげます。

式次は恒例の通り。

趣向は①ロシヤ料理を賛美する会。

〔メニュー〕ザクスカ、ピロシキ、ロシヤサラダ、シャシリック、グリイビー、セドローボルシチ、黒パン、ビール、ウオトカ(シブヤ・ロゴスキー出張) 

②新女王戴冠式

二月二十一日(土)午後五時、シブヤ金王八幡神社社務所にて。

会費五百円、各自ゲテモノ一、二持参の事。

一九五三年二月

第十代関口貞子女王の御名のもとに。

ポコモコ王国貴族団

山田風太郎御夫妻様

 1953年2月21日、そのころ世田谷の三軒茶屋に住んでいた山田風太郎は、一通の奇々怪々な招待状を受け取った。

 当時まだめずらしかったロシア料理を食べる会への招待で、差出人はポコモコ王国貴族団という謎の”団”である。招待状は作家高木彬光の義妹もとが持参したものだった。出席者の中には黒澤明映画で知られた俳優藤田進の姿もあり、風太郎は藤田のすすめるままに散々酒を飲まされた。

 会が始まってしばらくすると社務所に銅鑼が響き、「新女王の戴冠式と新騎士の紹介」が行われた。新女王にはもとが、新入りの騎士には風太郎が引っ張り出された。その時の様子──

 もとさんは銀の紙の冠に白いカーテンをまとわされ、私は右手をあげ、左手を聖書にあて、首をたれて前に立った。その聖書の表紙には藤田進のブロマイドが貼りつけてある。……

 このポコモコ王国について、山田風太郎はエッセイ『黒澤明の「姿三四郎」』*1の中で、当時の日記を読んで思い出した記憶として語っている。

 風太郎が話を「盛っている」わけではない証拠として、1951年の旅行雑誌『旅』*2にもポコモコ王国についての記事が出ている。

風変りポコモコ旅行

 平和と自由を愛する国民からなるポコモコ王国という奇妙キテレツなグループが、春には遠い底冷えのする一月二十一日の日曜日、第一回外遊と称して茨城県下の水郷古河市へのバス旅行を試みた。

 新型バス3台は午前10時東京駅を出発した。記事には「紙風船の帽子に赤、黄、緑、いろとりどりのレイを首にかける」団員で、車内は華やかな色彩にいろどられたとある。

 小野佐世男宮尾しげを石黒敬七、寒川光太郎、菅原通済、石塚喜久三、山本和夫高木彬光、長谷健、倉光俊夫、保高徳蔵、保高みき子らの名が参加者に挙げられている。

 途中、古河市内の焼酎製造会社・三桜化醸の食堂で昼食をとり、市役所では「ポコモコ語と称するチンプンカンプンな言語」で市長らにあいさつ。宴会はセリ市やかくし芸大会、白紙の掛け軸に小野佐世男が即興で美人画を描き上げるライブドローイング的イベントで盛り上がった。ロシヤ料理を食べる会の時と同じく「女王戴冠式」も執り行われたという。

『旅』の紙面には「歓迎 ポコモコ王国貴族団」のプラカードを先頭にすすむバスの写真が掲載されている。

 ポコモコ王国の正体は、作家や画家を中心にした内輪ノリの道楽団体といったところだろうか。紹介した山田風太郎のエッセイと『旅』の記事以外の資料は未発見である。

 第11回以降”団”がいつまで存続したのか、騎士と女王の果たすべき役割とは何か、いまだすべての謎は闇に包まれている。特に解明しなくていいと思う。

 

 

 

*1:山田風太郎黒沢明と「姿三四郎」」『問題小説』徳間書店、1990年6月号、連載エッセイ「風山房日記」の一編。記事内の引用は、山田風太郎『人間万事嘘ばっかり』ちくま文庫、2016年から。

*2:『旅』日本交通公社、1951年4月号。