とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

What's the 青一髪?

 西暦一六三七年十二月中旬。

 水天をわかつ青一髪もなく、ただ灰色に泡だつ荒涼たる海からくる風は、山と森をその海の波のように吹きどよもした。その秋、ぶきみに焼けた夕雲の下に無数の白花をつけて、人々をおののかせた枯木も、いまは空もくらむほど、もの凄じい枯葉をとばせるばかり。──そして、自然のみならず、ここ天草島の人々も、血と火の風のなかにそよいでいた。

 

 これは山田風太郎『不知火軍記』の書き出しだが、この「水天をわかつ青一髪」って何だろう。私の知らない古い言い回し?

 調べてみると、江戸時代の学者・頼山陽漢詩に「水天髣髴青一髪」という一節があるらしい。

 海と空とが接するあたりに、かすかに髪の毛一筋ほどの青いものがぼんやりと見える。

 といった意味で、「水天髣髴」で四字熟語にもなっているようだから、私は知らなかったけどそれなりに有名な一節なんでしょう。

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 その「水天をわかつ青一髪」すらも見当たらないのだから、冒頭の情景描写は暗雲垂れるそれはもう不穏な荒天の海を言い表したものということになる。

 ところで頼山陽漢詩のタイトルは「泊天草洋」、読み下すと「天草の洋(なだ)に泊す」ということだ。作者が九州・天草を訪れたときの光景を詠み込んだ詩が「泊天草洋」。書き出しの中にもあるように『不知火軍記』の舞台も天草島なので、山田風太郎はあえて同じ天草を舞台にした有名な漢詩の一節をアレンジして、書き出しの文章に盛り込んだのだろう。

 もちろん水天彷彿青一髪を知らなくても問題なく楽しめるように小説は書かれているのだけれど、そんなオマージュがあったんだと知ると、先行作品と遠く響き合うハーモニーを感じて嬉しくなる。

『不知火軍記』は他にも柳亭一門の合巻『白縫譚』を下敷きにしているようであったり、終盤の展開がユゴーの大河小説『九十三年』を換骨奪胎したものだったりと、いろいろな過去の創作の要素が一作の中に詰まっているようだ。

 

 同じ文庫本に収録されていた『幻妖桐の葉おとし』もすごい。

 大坂の役前夜の慶長十六年、七人の親豊臣派の大名が秀吉の遺言解読を託されるも次々に変死を遂げていくというあらすじだが、最初に七人の大名が集うシーンの章題が「桐七葉」。

 これは同じく大阪の役前夜、豊臣を支えるためにひとり奔走する武将を主人公にした坪内逍遥作の歌舞伎『桐一葉』をもじったものだ。『甲賀忍法帖』の「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」、『魔界転生』の「魚心水心」と同じで、こういう遊びが好きな人だなあと感心するがそれだけではない。

 秀吉の側室淀殿を悪役に据えてその妄執を描いた『桐一葉』に対して、『幻妖桐の葉おとし』では秀吉の正室北政所(ねね)の妄執が事件の根幹に関わってくる、いわば淀殿ではなく「ねねの桐一葉」ともいえる作品なのだ。

 悪女扱いされてきた淀殿を相対化しながら、北政所の嫉妬や欲をかなしく、うつくしく、作中の言葉を借りれば「太閤、大御所以上の」すさまじいものとして描ききる。

 『妖異金瓶梅』と同じく、『幻妖桐の葉おとし』からも女性の欲望を肯定して解放する圧倒的パワーを感じる。

 先行作品へのオマージュから始まりつつ、それを裏返して独特の世界を作り出す作者の力量にしびれる作品で、おすすめです。

 

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