コールリッジの詩「ナイチンゲール」に、過去の詩人の受売りをしたままにナイチンゲール(小夜啼鳥)を憂わしげな鳥と表現するような紋切型への批判を込めた一節がある。
「ほら聞いてごらん、小夜啼鳥が歌い出したぞ、
『調べ妙にしていとも憂わしげな』鳥が。
憂わしげな鳥だって? 根も葉もないことを!
自然界に憂わしげなものなど何もない」
「この〔憂わしげな鳥という〕思いつきを鵜呑みにして従う詩人は多く、
営々と韻文を創り上げているが、その暇があれば
どこか林間の苔むした谷のせせらぎのほとりで
存分に手足を伸ばして身を横たえ
日の光にでも月の光にでも照らされて
物の形や音、風や光が流れこむままに
身心をゆだねて詩も名声も忘れてしまう方が
はるかに利口ではないか」
「美しい自然の
声音は常に愛と悦びに溢れているのに、その
事実を冒瀆してはなるまい。陽気な鳥なのだ、
小夜啼鳥は」
これはポルノグラフティ風に言うと、月は決して泣いていないし、鳥は唄を忘れてはいないってことでしょうか? 変わらずそこにあるものを歪めて見るのは失礼だ。
コールリッジ is ロマンチスト・エゴイスト.