とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

「風」のハンコ

 初版本を集めるとか、署名本を見つけるとかいったことに今まで全然興味がなかったのだが、先日立ち寄った古本屋で山田風太郎の『妖異金瓶梅』初版本を発見して小躍りしてしまった。

 1954年に出版された初出の単行本ではなく、新書判の「ロマン・ブックス」シリーズの一冊で、奥付には「昭和30年12月10日 第1刷発行」とある。

 ちなみに巻末の宣伝ページを見ると、ロマン・ブックスシリーズの既刊には石川達三『誰の為の女』、源氏鶏太『坊つちゃん社員』、山手樹一郎『巷説 荒木又右衛門』などの名前が並んでいる。どれも1冊110〜180円の価格帯で、当時の廉価本のラインナップが伺える。

 そしてなんと、奥付には発売当時のまま「風」のハンコが捺された検印用紙がついている!

 このハンコを見た瞬間、『山田風太郎育児日記』の次の一節が私の頭をよぎった。

 

 夜佳織の寝たるまに、啓子と町へ出て本の奥付の印紙に押すハンコの註文にゆく。いままでの風の判、気にいらざればなり。ついでに筍のウマニ、沢庵、タラコ、鯊の甘露煮、蜜柑、菓子など買い、一時間ばかりして帰宅するに、佳織大いに泣き、顔じゅう涙と汗の大洪水にて枕びしょびしょなり。行水させてミルク与えしにニンマリと笑う。(1954年12月8日)*1

 

 この『妖異金瓶梅』の奥付に押されたハンコがこのとき注文したハンコと同じものかはわからないが、時期的にはちょうど一年後のことだ。風太郎か啓子夫人かが、忙しい子育ての合間をぬって手ずから押した判にちがいない。

「これが風太郎お気に入りの『風』のハンコか」と思うといてもたってもいられず、すぐさまレジへ持っていった。わずか300円だった。

 ページが焼けてところどころ破れた汚い本だが、私には宝物だ。

 日記から読みはじめて山田誠也という人間を好きになった私にこのハンコは、彼がつけていた日記と私が生きている現実とが地続きであることを、とても生々しく感じさせてくれる。

 



 

*1:山田風太郎山田風太郎育児日記』朝日新聞社、2006年、p19。