とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

ブラウン神父の童心

 チェスタートンの推理小説『ブラウン神父の童心』を読んだ。創元推理文庫の新版で、中村保男の訳。帯文には「新版 新カバー」とあるが、新訳ではなく旧版(1982年初版)の訳をそのまま使っているようで、現代日本語としてはやや不自然な文章で少し読みづらい。

 探偵・ブラウン神父初登場の短編集ということで、神父が放つ諷刺に満ちた警句や逆説が魅力の小説だけに、生硬で意味の取りづらい訳文がなおさら惜しまれる。

 

 

 イングランドスコットランドの田園地帯、山村、古城、森林を舞台にした多くの作品では、神父と友人フランボウが「異教的」な異界にさまよいこんだかのようにおどろおどろしい風景描写が続き、謎が解けてふたりがその地を離れるとともに穏やかな日常の景色が戻ってくる。そうした描写の仕方に、なんというか作品世界をつくりだすための文章テクニックを感じて面白かった。ありのままの自然を描こうとするのではなく、虚構に奉仕する風景描写になっているといったおもむきで……。当然誰もが意識している技だろうが、古い小説だけに露骨に怪奇ムードを出してくる。墓場ではヒュードロドロと冷たい風が吹くみたいな、お約束に忠実なのが今の小説にはない味で好ましい。

本格物は、ただトリックの独創にすぐれているのみならず、構成、叙述にも逆説的な能力を持つ作家でなければならないが、テーマそのもの、文章そのもの、さらに小説全体の論理そのものが逆説的であることを最も可とする。それによって不可能が可能となり、「子供だまし」が「芸」となる。チェスタートンの作品がそれだ。*1

 これは江戸川乱歩のチェスタートン評を山田風太郎が引き写したものからの孫引きだが、けだし名言だと思う。『ブラウン神父の童心』中の作品では、やはり最初の一編「青い十字架」によくそれが現れているように思う。山田風太郎は「内田百閒に探偵小説を書く能力があったら」チェスタートンに近いものを書けたのではと言っているが、自身の「ペテン」的探偵小説についてそらとぼけているところには微笑せずにいられない。

 

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*1:山田風太郎『半身棺桶』ちくま文庫、2017年、p.399。