とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

魔女と虚無僧(機動戦士Gundam GQuuuuuuX 第4話感想)

 討(うち)はたす梵倫(ぼろ)つれ立て夏野かな

 

 めぐり逢ったふたりの虚無僧が、旧怨の縁であったか、心置きなく切り結ぼうと白雲浮かぶ夏野の奥深く出で立って行く。

『徒然草』第百十五段にある話を下敷きにした、蕪村の句である。

 爛爛と殺気を放ち死に急ぐ僧の姿と不吉なまでに激しく生い茂る夏草の生命力が重なって、つんと草いきれのにおいがしてくるような真夏の光景が描かれている。

 今週放送された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』第4話「魔女の戦争」の壮絶な展開には、まるで任侠映画や剣豪小説のようと評されるこの一句を思い出させられた。

 大きな戦争が終わった後の死にどきを逃した者たちの果たし合いという状況が、南北朝時代の虚無僧や、寛永年間の傾奇者や、戦後社会のヤクザとジークアクスのニュータイプとで似ているだけではない。

 今回の話では「普通」と「特別」が対照的なものとして描かれている。

 連邦軍のユニカム(エースパイロット)だったシイコは元マヴ(相棒)の命をジオンの「赤いガンダム」に奪われた。戦争が終わり、母となって「普通」の生活になじもうとしていたが、5年の時を経て再びあらわれた赤いガンダムを討つためクランバトルという私闘に身を投じる。

「ニュータイプかもしれない」相棒を失い、その相棒を殺したガンダムも消えた。この世界では誰も特別になんてなれないんだと諦め、普通の生活になじもうとしていた彼女にとって再びあらわれた赤いガンダムは、今の自分を否定する何より許せない存在だっただろう。

 劇中で「(仇討ちではあく)あれはただの執着だ」と言われているように、機体の限界を超えて赤いガンダムに執拗に迫り自壊していくのはとても「普通」じゃない修羅の姿だし、最期に待っていた結末は悲惨なものだった。

 それでも彼女の選んだ復讐という生き方は決して暗いものには思えず、むしろ爽快でさえある。だって「この世界は結局理不尽で、望むものすべて手に入れる選ばれた人なんていない」なんて真実はつまらないから。それを受け入れようと葛藤し、抗い、敗れていく様をだれが笑えますか。

「魔女の戦争」は前半で特別な存在に憧れる子どもマチュを描き、後半で普通になろうと苦しみ大人になりきれないシイコを描いた。家族を残して脱法バトルに飛び出したシイコを批判する声もあるが、それこそ「普通」を強いる大人の発想で、彼女を縛り付けていたものの一つだといえるだろう。

 母になることが大人になることで、我欲を捨てなければならないのなら、いっそ執念深い魔女になったほうがいい。エントリーネーム「ママ魔女」さんのそんな覚悟が潔い。

 仇同士思うさま斬り合って刺し違えて死んだ虚無僧たちのことを兼好法師はこう記した。

「世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて人の語りしままに、書き付け侍るなり」

 宇宙世紀のニュータイプも大体同じようなものかもしれない。

 

蕪村集

蕪村集

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一月十九日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

 この日の書き出しも「午後二時警戒警報発令。敵数編隊阪神地区に進入」(45頁)と米軍機のニュースから。相次ぐ敵機の襲来に当局も神経質になっていたようで、誠也たち市民に灯火管制の徹底指示が出されています。

 ○隣組条令にて夜十時以後は絶対灯を外にもらさざるよう申し渡されたるとの事。これを称してゆきすぎという。食っては眠る動物ならばともかく、何かやらんとの心ある者、これによって何も出来ず。暗幕を下げ、スタンドを黒布にて覆いて、なお暗き光朦朧もうろうと外にもるる程度ならば──而して警戒警報発令とともにただちに消燈するならばそれでよきにあらずや。戦争はそう簡単にすまざるなり。あまり神経質なるは長つづきせざるなり。(45頁)

 たしかに、本を読んだり、ものを書いたりしたい若者にとって10時消灯の暮らしは物足りなかっただろうと思います。というか学校で勉強して、映画や芝居を見に行って、本を読んで……としている中でこの長い日記はいつ書いてたんでしょうか。たとえ消灯時間の制限がなくても、とても夜が足りない気がしますが、やっぱりわれわれ凡人とは処理能力がちがうのか……。

 わが身に置きかえてみたら、この数百字の感想文を書くのさえ仕事終わりの疲れている時はとてもやる気が出ないのに、誠也は毎日欠かさずによく書いています。

 ○噂によればドイツ技師団指導のもとに名古屋にてV2号製作中なりと。医学生も四月より七月まで名古屋に動員さるるとのことなり。
 ○夜雪。のち晴れて満天の銀河凍る。風邪心地。(45頁)

 十二日の新兵器の噂に続いて、再びV2号の話題が出ています。ロケットの開発に医学生を動員して何をすると噂されていたのでしょうか。今から見るとおかしいですが、情勢次第でいつ徴兵免除が終わるかわからなかった当時の医学生からしたら気になる話だったと思います。

一月十六日、一月十七日、一月十八日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

 毎日感想を書くのが厳しくなってきたので、短めの日についてまとめて書きます。

 空襲が激しくなってきたのかこの三日間は東京上空に現れたB29を見上げての描写が続いています。

 ○午前十時、独逸語の授業中警戒警報発令。校庭に飛び出すや否や、もう頭上はるかなる蒼空にB29西より飛び来るが見ゆ。(一月十六日、42〜43頁)

 ○夜十時B29一機伊豆方面より侵入。帝都周辺の探照燈、幾十条となく天を這い、ついにこれを、捉う。(一月十七日、43頁)

 十八日には試験を終えて校庭に出たところで新宿二丁目方面に上がる煙を目撃しています。これも爆撃の被害かと思いきや、のちの記述を読むと失火が原因で起きた単なる火事だったよう。

 この時代の東京で火や煙の描写があると、勝手に空襲被害を想像してしまうけれど、当然ふつうの火事もあったんだと気付かされました。そういえば私は映画「君たちはどう生きるか」の冒頭の火災も、初見では空襲に遭ったのかと思い込んでいたな。

「いまごろの火事は罰金にてすまず。体刑なりとのこと。失火せる者は泣きっ面に蜂なり」(44頁)と書かれていて恐ろしい。

 十八日は「野戦軍楽隊」という映画を、十五人ほどしか客のいない映画館で観ています。空襲を恐れて人が集まらないのだろうというのが誠也の推測です。「便所の臭い場内に満つ」(44頁)と書いています。十一日の歌舞伎座の描写に続いて便所への注目が高まっている。

 ○星きらめき、月鎌をなす。風なく夜しずかにして、全東京ほとんど暗き大いなる氷に閉じこめられたるごとし。頗る寒冷なり。(44頁)

 便所臭い映画館を出ると、頭上には美しい冬の夜空が広がっています。屋内から屋外へ、対比が効いていて良い文章だな〜とあらためて感服しました。日記なのに小説みたいな演出がされている。

一月十五日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

 ○空襲のため毎日明日の命わからず。高須さんまでが遺言を書いておくという。
 余の遺言はただ一つ「無葬式」。
 紙製の蓮花、欲ふかき坊主の意味わからざる読経、悲しくも可笑しくもあらざるに神妙げなる顔の陳列。いずれも腹の底から御免こうむりたし。(42頁)

 23歳にして、あるいは23歳の若者らしい達観した心境が伝わってくる一節です。遺言の話題から話が広がり、この日の日記には自身の「ひがみ」に満ちた性格についての自嘲的な言葉が並んでいます。一見人からとぼけているとも、老成しているともとられるような性格になった原因を、誠也は両親を亡くした自らの境遇に見出しています。彼は5歳の時に父を、14歳の時に母を亡くし、家を継いだ叔父のもとで育てられていました。

 ○母死にしとき、余は他に対し、おのれに対し、その悲しみを誇張せんとせり。孤児はひがむと世にいう。われ果してひがむやと考えしこと記憶せるが、ついにまんまとひがみ終りたり。(尤もっとも自分ではひがみおるとは思わず。しかれども他は余の言動と父母亡きことを結びつけてひがみなりと断定せり)(42頁)

「ついにまんまとひがみ終りたり」という言葉に、近しい人も結局は自分のことを理解してくれなかったという彼の寂しさが伝わってくるようです。

 父母を亡くし周囲の偏見にさらされながら窮屈な思いをして過ごす日々に嫌気がさして、家出同然に東京に出てきたのが3年前の夏のこと。その頃のことをのちに風太郎=誠也は苦い思い出を噛みしめるように振り返っています。

 中学二年のころ母を失い(父は五歳のときに亡くなっていた)やけくそになって停学などくらい、そのためにその当時上級学校へ入るため不可欠の免許状と思われた教練合格証──軍隊に入れられたとき幹部候補生になるための資格証──ももらえず、勉強はちゃらんぽらん、体格はひょろひょろ、しかも親戚の廻り持ちで養われている身とあって、ついに家出をしてしまう破目になったのである。日記で明らかなように、決して養うほうにとっては養い甲斐のある少年でも青年でもなかった。

(山田風太郎『滅失への青春』1973年、大和書房。引用は『戦中派虫けら日記』1998年、ちくま文庫、591〜592頁より)

 そうして3年間一人で生きてきた誠也は次の境地にたどりつきました。

 而してこのごろ他と情に於て交渉するが煩わしければ、ことさらにとぼけ、飄然とす。たいていのこと、見ざるまね、聞かざるまね、知らざるまねして通すに、習い性となり、偽次第に真となりて、ようやく老耄ろうもうの気をおぼゆ。二十四歳にして耄碌せりといわば、人大いに笑うべし。(42頁)

 誰にも理解されないと「他」を拒絶して生きていく、なんとも悲しい人生哲学。23歳(数えで24歳)にしてこの心境にいたるとは……。

 この時の誠也は「悲しみを誇張せん」とするあまり、交渉を断った「他」のなかにも自分を気遣ってくれる人がいることに気づいていないようです。「養い甲斐のある少年でも青年でも」ない誠也を家族の一員に迎え、この日も「山田君も遺言を書いておけ」とすすめてくれたであろう、高須さんのような人が近くにいることに彼はいつか気づくでしょうか。

 なお、晩年の山田風太郎が自筆の「死亡記事」のなかに遺した言葉は──

葬儀・告別式は本人の遺志により行わない。墓所は二十年前に購入した八王子市上川霊園。戒名は生前に自ら命名した「風々院風々風々居士」

(山田風太郎「『魔界転生』『警視庁草紙』の作家山田風太郎氏、“晩飯”中に急逝」『週刊朝日』1996年8月30日号。引用は『人間万事嘘ばっかり』2016年、ちくま文庫、415頁より)

 少なくとも「無葬式」の意志だけは生涯変わることがなかったみたいです。

 

一月十四日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

 ○先日あまりに銭湯の悪口を書きたる天罰てきめん、きょうメリヤスのシャツ二枚板間にて盗まる。最も上等なるシャツにして、あと所持せるはぼろぼろにちかきしろものばかりなれば閉口す。しかし可笑しくもあり。(40頁)

 七日の日記で「昭和二十年の浮世風呂」の汚さ、治安の悪さを嘆いていた誠也くん、それから一週間でたちまちシャツを盗まれてしまいました。七日には「ふつうの履物をはいてゆけば、絶対に盗まれる」(20頁)どころか、男ものと女ものの下駄を片方ずつ履いていったのに盗まれた人もいたと書いていたのに、いちばんきれいなシャツを持っていってしまったようです。

 さてこの事件を受けて、誠也が導き出したのは次の二つの仮説。

 一、この世には神も仏もなきや。悪人が結局得をする世界なりや。
 二、悪口をいいたる罰なり。以後決してかかる悪口をいうべからず。(40頁)

 この一、二についてそれぞれ屁理屈を立てて自分で論難しているのがおもしろいです。「この世には勿論神も仏もなし。ほんとうをいえば、善人も悪人もなし。ただ人間があるばかりなり」(40頁)とか、「すべては偶然なり。偶然の意義につき知りたき物好きあらば、ポアンカレーの論文でも読みて頭を三角にすれば可なり」(41頁)とか、屁理屈のなかにも誠也の人間観やユーモアがのぞいています。

 最後は「「偶然の研究」「うぬぼれの研究」の二事は、美や神の研究に匹敵する人間界の重大問題にしてかつ興味深い題目たらん」(41頁)という結論にいたっていますが、たしかに人の運命や一生を左右する偶然をテーマにした作品が山田風太郎には多い気がします。

 サイコロの目ひとつで一生のツキが左右されてしまった二人の人力車夫を主人公にした『明治かげろう俥』などはその代表かもしれません。車といえば、運命を表す「回る因果の車」もよく風太郎作品に登場するフレーズですね。「竜車に向かう蟷螂とうろうの斧」も。「霏々ひひとしてふる雪」も。「怪鳥のような声」も……。思わず山風パロディにあると嬉しい頻出語句の紹介になってしまいました。

 

 

一月十三日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

『戦中派不戦日記』の「あとがき」で山田風太郎は「「日記は自分との対話」だとはいうものの、当然年齢相応の、青くさい、稚拙な、そのくせショッた、ひとさまから見れば噴飯物の観察や意見もある。特に自分でも閉口するのは、中に妙に小説がかった書き方をした部分である」(681頁)と述べているけれど、一月十三日の日記に書かれた小説風の散文詩のようななにかは、風太郎が「閉口」した記述の第一だろうと思います。

 作家以前の時代の、作品未満の黒歴史ノートです。

 海辺で戯れる裸の女と男の姿からはじまり、やがて二人がイヴとアダムなのかなという思わせぶりな描写にいたり、「生命」の意義や「神」についての抽象的な言葉が並べられていきます。だいぶ冗長です。しかも途中で飽きちゃったのか、主人公らしき女と男の話はどこかに消えて、小説風ですらない一行詩の羅列になり、最後はメタ的に茶化して落ちたことにする。

 私だったら恥ずかしくて公開できないような若書きの文章です。削らずに残してくれた風太郎はえらい人だ。

 未完のポエムを書き付けたり、あらゆる虚飾の衣をはがして「ほんとうのもの」を眺めたい、「何だかルソーみたいなれど、一ぺん全部洗い落としたい」(40頁)と気負った決意を披露したりした後で、歯医者でがりがり歯を削られる自分の姿を書いているのは対比が効いていてちょっと微笑ましい。

一月十二日/山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む

「午前一時、三時半、空襲」(33頁)と、毎晩のように東京への空襲が続く一方で、フィリピンでの戦闘は激化の一途をたどっていました。誠也はその一端が伝わってくる記事をこの日の日記に書き留めています。

 ○比島全空軍、体当り戦法をとる。日に日に新兵器生まる。曰く、V1号、V2号、凍結砲弾、無人戦車等。しかも日本軍の新兵器は、永遠に兵みずから生還せざる事実を包含する新兵器なり。(33頁)

 ドイツ軍が使用していたV1号(飛行爆弾)、V2号(ロケット)はともかく凍結砲弾、無人戦車などかなり怪しげな新兵器の名前が羅列されています。真否はともかく、新兵器による一発逆転に藁にもすがる思いを託していた人々の気持ちがこうした噂を蔓延させていたのだと思われます。

 吾が空軍の一将帥曰く「吾ら全軍体当り捨身の悔いなき戦争を決行せん。われらの子孫が、後世に於て、祖先はかく戦えりということを記憶するかぎり大和民族は断じて滅亡することあらざるべし」と。
 言々血を吐く声なり。叫びなり。凄絶悲壮、実に吾人をして背に粛然、また欣然たる感動を与うるものなれど、そもそもこの将、体当たり戦法をとりてこの戦争の前途に微光を認むるや否や。(33〜34頁)

 特攻作戦を賛美する司令官の言葉に感動を覚えながらも、その有効性には懐疑的にならざるを得ない。一軍国青年としての素朴な感動と、それに冷水を浴びせるような醒めた視点からの冷静な分析。戦争中、誠也青年の内心は常にこのふたつの間で揺れ動いていました。