とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

中島敦の李陵を読み直したらやっぱりよかった

 中島敦の『李陵』を久しぶりに読んだ。多分10年ぶりに。

 高校3年の春、大学受験があらかた終わりかけた頃に、その日の受験会場のついでに回った神保町の三省堂書店新潮文庫の『李陵・山月記』を買って読んだのが最初だから、あれから本当に10年が経ったのだ。

 それまで教科書にのっているような作家の本はほとんど読んでこなかった私が、「文学っておもしろいかも?」と気づくきっかけになった作品で、そのまま大学では文芸サークルに入り、いわゆる純文学的なものを読み出すようになったのだから、かなり思い入れの強い作品でもある。

 

『李陵』の何がいいって、もう百回言われているだろうけど、文章のリズムが気持ちいい。

「極目人煙を見ず、稀に訪れるものとては曠野に水を求める羚羊ぐらいのものである」だし、「突兀と秋空を劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐ」もヤバい。

 んでもって、日常生活では絶対目にしない漢字がズラッと並ぶ字面も意味わからんくてかっこいい。

「辺塞遮虜鄣(へんさい しゃりょしょう)」に、「因杅将軍公孫敖(いんうしょうぐん こうそんごう)」ですよ。

「楚の屈原の憂憤を叙して、その正に汨羅に身を投ぜんとして作る所の懐沙之賦」はもう最強のパンチライン。ゆうふんをじょしてでブチ上がるし、まさにべきらにみをとうぜんのとこは百回リピートしたい。

 

 今度は岩波文庫の『山月記・李陵』の版で読んだのもあって、前に読んだときとは違う印象があった。

 例えば漢人でありながら匈奴に積極的に協力する衛律という人のこと。

 匈奴に降るか否かを宿命的な大問題として思い悩む李陵や蘇武に対して、あっさりと亡命先の風習に同化してセカンドライフを生きる衛律がなんだか軽やかに見えてくる(情けないよでたくましくもある)。

 衛律については「先年協律都尉李延年の事に坐するのを懼れて、亡げて匈奴に帰したのである」と語られているが、岩波の注では李延年は兄弟の李広利将軍が匈奴に降伏した後に誅殺されたことになっている。

 李広利将軍は李陵が捕らえられた後もたびたび匈奴に遠征していることが書かれているので、李陵が匈奴に来てすぐに衛律と出会っているのは前後関係のつじつまが合わない。ヘンだと思って調べてみても衛律がいつ匈奴に来たのかはわからなかった。

 蘇武が捕まったときに匈奴王の使者に衛律が立てられたことは『漢書』に記述があるので、衛律→蘇武→李陵の順番で匈奴に来たことは間違いないのだけれど。

 李延年も没年不詳の人物だが、衛律の動向からすると李広利より後に殺されたというのは考えられなさそうだ。おそらく蘇武が匈奴に派遣された天漢元年(紀元前100年)の前に李延年は失脚している。李広利は征和三年(紀元前90年)に匈奴に降伏し、翌年衛律に怨まれて処刑された。

 

漢書』に記載された、この李延年・李広利兄弟とその妹で武帝に寵愛された李夫人の三人の人生もそれぞれ面白い。

 歌うたいの一族の娘が皇帝に愛されてその兄弟も出世し、一人は天才詩人・司馬相如と出会い宮廷音楽家に、一人は遥か中央アジアの大宛国(フェルガナ)を征服する軍人になるも、不治の病を得て娘が早逝したのを機に暗雲が立ち込め出す……。宮女と密通する末弟! 后の面影を求めて狂い出す皇帝! 大砂漠の探検行! 宮廷に蔓延する呪術と密告! 武帝時代末期はそりゃ司馬遷も呆れるわといった感じの雰囲気で、ドロドロのドラマ化待ったなし(李夫人とは別の后が主人公のドラマはもうある)。

『李陵』の硬派さに惹かれていろいろ文学作品を読むようにはなったけど、最近はまた、やっぱりこういう分かりやすいドラマが好きだなあと思い直してもいる。

 

 

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