とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

負けヒロインは勝負に負ける性格か(坂口安吾『勝負師』)

 負ける性格、というものがあるか、どうか。
 ラブコメ漫画やライトノベルのキャラクター属性の一つに「負けヒロイン」というものがある。負けヒロインとは、主人公に思いを寄せていながらも様々な事情により、物語の結末で結ばれなかった(結ばれなさそうな)キャラクターのことだ。

 

 ハーレム物などの特殊な設定の物語でなければ、最後に主人公と結ばれる一人以外は全員負けヒロインということになるが、多くの作品で負けヒロインになりがちなキャラクター造型のパターンがあり、それを満たすキャラクターが特に負けヒロインと呼ばれることが多い。例えば「主人公との付き合いが長い幼馴染キャラ」は、関係の変化を恐れて告白できずにいるうちに別のヒロインに主人公を取られてしまうことが多い負けヒロイン、というような具合だ。そして多くの場合、究極の敗因はその消極的な性格・優柔不断な態度にありと極めつけられてしまう。
 しかし一体、負けヒロインの敗因は本当に彼女たちの性格にあるのだろうか?

 

 昭和中期の小説家坂口安吾は将棋の名人戦を観戦した経験をもとに『散る日本』『勝負師』という二つの短編を遺した。前者は十年不敗とうたわれた名人木村義雄塚田正夫八段に敗れるさまを、後者は二年後に今度は木村が塚田を破って名人位に返り咲くさまを描いている。それぞれの作品で、安吾は敗者を評して「負ける性格」と言い表した。

 

 私は然し、名人の敗因は、名人が大人になって、勝負師の勝負に賭ける闘魂を失ったこと、それだけだと思った。それは「負ける性格」なのだ。闘志は技術の進歩の母胎でもあるが、木村名人の場合は、それが衰えたというよりも、大人になったということ、そっちの方がもっとひどい。
(散る日本)
 とりみだして、泣くがいいじゃないか。変なところへ気を使わずに、あげて勝負に没入するがいいじゃないか。そんなことよりも、将棋そのものの術をはなれて、相手の時間ぎれなどを狙う策戦の方がアサマシイじゃないか。私は、塚田は敗ける性格であったと思う。はじめから圧倒されており、負けるべきことを感じており、はじめから小股すくいを狙っており、そして負ける者のあの気魄、負けボクサーのヤケクソのラッシュをやっただけの闘志であったと思う。彼は対局のはじめからアガッていて、最後まで平静をとりもどしていなかった。
(勝負師)

 

 安吾は繰り返し風格、権威、形式に囚われた将棋を否定し、勝負の実質こそが全てであると説く。実質を忘れて外形の維持に走った時、人は負ける性格になっているのである。

 

 もし坂口安吾が現代の負けヒロインを見たら、その性格をどう判定するだろうか。

 

 ピクシブ百科事典「負けヒロイン」の記事で挙げられている具体例を順に見ていく。ここで挙げられているのは、「幼馴染、妹(義妹)、姉(義姉)、いとこ」のキャラクター。物語開始時点で主人公と一定の関係を築いているというアドバンテージがあるが、負けヒロインになってしまうことも多く、5つのパターンが挙げられている。

 

1.『想いを告げて主人公との関係が壊れてしまう事を恐れる』等でヘタレてしまっている間に、転校生や学園のアイドル、生徒会長、お嬢様(お姫様)等の属性を持つ別のヒロインが主人公と知り合って仲良くなり、そのまま主人公を取られてしまう。

→負ける性格である。棋士が将棋に殉ずる如く、ヒロインは我が恋愛に殉ずべきもの、千日手をさけて、わが道に殉ずる誠意を犠牲にし、敵と巧みに妥協して四畳半的にまとめあげて、それが手腕、風格、恋愛だなどと、これを日本的幽霊という。

 

2.主人公の幼い頃の思い出の女の子や主人公が幼い頃に助けた女の子等といった自分以外にも主人公と本編開始前に出会っていた別のヒロインが主人公と運命の再会を果たし、そこから二人は仲良くなって恋に落ち、そのまま主人公を取られてしまう。

→負ける性格である。彼女は心構えに於いて、すでに敗れていた。敵を知らずして一局の勝負に心魂を捧げ尽くすことができるものではない。本編が始まってから用心しても、もう遅い。十年前に撒いた種がここで芽をだすのであり、全てこれらの心構えというものは、一朝一夕のものではない。彼女は本編開始前に撒いた種の累積の上で、宿命的に潰れたのだ。

 

3.主人公が何らかの理由で異世界に行ってしまいそのまま生き別れになって、自分の知らない世界で、主人公は異世界でヒロインと出会って恋仲となり、事実上の失恋をしてしまう。

→負ける性格である。今日の文芸界に於いてはネット小説に於て、またあらゆる既存のジャンルに於て、各々の作者が異世界をめざして精進しているのである。主人公が異世界へ持っていかれるそのことだけでも、すでに作品の異世界化、異世界進出を意味する慶賀すべきことではないか。誰が日本の国技と決めたわけでもないのに小さなカラにとじこもって日本人だけで一家ダンラン、あげくは日常系という花相撲でお茶をにごして世界に通用させようという。ダメですよ、世間が通用させてくれません。

 

4.メタ的な話ではあるが、ゲームでは自分(及びハーレム)以外の全てのルートで「負けと判定されてしまう」(他のヒロインは主人公の事を好きにならなかったり、そもそも登場さえしない事もあるので「負けと判定されない」)。

→負ける性格ではない。将棋は常に勝負のギリギリを指し、ぬきさしならぬ絶対のコマを指す故、芸術たりうる。恋愛も同じである。「負け判定」が絶対たるべきものなら、その宿命を避けなかった彼女は、恋愛に忠実誠実であったもので、即ち、本来勝って当然な性格だった。

 

5.『(カースト的な意味で)自分が主人公より上であり、主人公には悪口や暴力、理不尽な仕打ちをしても許される。』という身勝手な思考で今まで主人公に接してきたせいで、主人公から絶交や絶縁を宣言されてしまい、主人公が別のヒロインと出会って恋仲になり失恋してしまう。

→負ける性格である。彼女はたしかに軽卒であった。心にユルミがあった。敵を軽く見ていた。敵を軽んじるようになっては、悪い意味の慢心である。

 

 こうして、4の「負け判定」ヒロインだけが負ける性格ではない者として残った。その他の負けヒロインは全て、負ける性格である。とはいえ、『散る日本』で負ける性格=負けヒロインだった木村義雄も二年後にはメインヒロインになったのだから、ラブコメというのはどうなるか分からないものだ。

(普通の感想を書こうと思っていたのにまた怪文書になってしまった)

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