とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』

 

全体の感想

 アメリカのSF作家サラ・ピンスカーの初短編集、フィリップ・K・ディック賞受賞作の『いずれすべては海の中に』を読んだ。
 一つ一つの作品単位でみても様々な賞を受賞したりノミネートされたりしており、評価の高い作品揃いだ。
 実際に、どの作品も粒揃いでおもしろい。おもしろいが、全編を読み終えたあとどこかに押し付けがましさ、もっと言えば説教くささのようなものを感じてしまった。
 この思いは、この本を読んだ人の多くが抱く感想とは矛盾するものかもしれない。現にこの本を私にすすめてくれた友人は、ピンスカーの「押し付けがましさがない」ことを評価していた。ピンスカーはともすればセンシティブに扱われる事柄も、「そうあるもの」として自然に書く。例えば多くの登場人物に同性のパートナーがいることをことさら強調しない。彼ら彼女らにとってはそうあるのが自然なのだから、その書き方は正しい。『いずれすべては海の中に』で描かれるのは、社会ではなく個人の物語だから。
 SF的な設定は物語のきっかけに過ぎず、その世界で生きる「わたしたち」──「人々」というよりももっと個人的な──の生活や葛藤を描き出すことに主眼がおかれている。例えばジェンダーや歴史の継承について、芸術と興行の関係について、登場人物たちは自分たちの生きる社会への明確な問題意識を持っているが、それが前面に出された中編よりも短編のほうが優れているように思った。それは彼女たちの主張に同意できないというわけではなく、個人的な事柄を語る「わたし」の話法で社会への問題意識が主張されるとき、小説を通して彼女たちにお説教をくらっているような気分に私がなってしまったからだろう。

「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」

 義手を装着したことで右腕が「コロラド州東部にある、二車線で長さ九十七キロの一筋に伸びるアスファルト道」とつながってしまったアンディの話。突拍子もない奇想としてはこの話が一番おもしろかった。最初は困惑していたアンディは「道」を徐々に理解し、受け入れていき、最後には「道」のために涙を流す。

「そしてわれらは暗闇の中」

 何らかの事情で子供を持てない人たちの夢から姿を消した「ベビー」が現実に、南カリフォルニア沖の岩の上に現れる。夢を見ていた人々はみな自分の「ベビー」に惹きつけられて海岸に集まってくるが……。

「記憶が戻る日」

 ひどい戦争が終わった後の世界、退役軍人は記憶を消され一年に一度のパレードの日だけ記憶の「ベール」を上げて過去の記憶を取り戻すことができる。悲惨で残酷な記憶だからといって消してしまうことは、次の世代に何かを失わせてしまうのではないか。「風はさまよう」と共通する思いをより個人的なかたちで描いていて、こちらの方が好みだ。

「いずれすべては海の中に」

 何らかの事情で文明が崩壊した後の世界を舞台にしたロマンス。この短編に限らず、物語が始まった時点で何かが失われていたり、取り返しのつかないことが起きていることが多い。設定のすべては説明されず、一人称で語られた情報を拾い集めて何が起きたのかを想像していくのは楽しい作業だった。

「彼女の低いハム音」

 死んだおばあちゃんを模して作られた機械のおばあちゃんとの間に新しい愛が芽生えるまでの話。失った何かの代りとして作られたものが、新しい意味を獲得していくのは繰り返されるテーマだ。全編読んだ後に感じることだが、こうした短編のほうが話が締まっていておもしろい。

「死者との対話」

 AIを用いて殺人事件の犯人や被害者との対話を可能にした箱庭「殴打の館」を発明し、ビジネスに利用しようとする友人と主人公の仲違いを描く。ホラーになるかと思いきや、人間関係のドラマを貫き通す。主人公が言葉を濁す、彼女の弟が巻き込まれた事件について館が何と答えるかがサスペンス。そうした恐怖を期待してしまう読者へ冷水を浴びせたいという思いもあるのかな。

「時間流民のためのシュウェル・ホーム」

 時間飛躍が実現して、現在と過去と未来の空間がつながってしまった世界?この作品は一読だけではよくわからなかった。

「深淵をあとに歓喜して」

「ともに暮らす相手に真に寄り添うことの難しさ、それでも遅すぎることはないという小さな希望を描いた、本書の中でもとりわけ胸を打つ一篇」(訳者あとがき)。良質な物語だが、短編のような突飛さはない。アイデア勝負の短編とは異なり、ある程度の長さを持った中編になると奇想ではない形で語らなければならないのだろう。建築家の夫が救おうとした人々とは何なのかなど、ここでも明かされない情報がある。

「孤独な船乗りはだれ一人」

 セイレーン伝説をジェンダーアイデンティティを切り口に編み直した短編。視点の確かさと、物語を構成するうまさ。作者の高い技量が表された作品だ。

「風はさまよう」

 世代間宇宙船の中で繰り広げられる、歴史と音楽と記憶を受け継いでいくことの意義を問う物語。とにかく説教くささを感じてしまい全編の中で一番苦手な作品だった。一人称の長い物語は「わたし」に共感できるか、魅力を感じられないと没入することができない。

「オープン・ロードの聖母様」

 前作の読後感に引きずられて、これも若干お説教を感じてしまった。音楽や芸術はいかにあるべきかという問題意識が明確なだけに、反対の立場をそんなにくささなくてもと思ってしまう。この話では、主人公に否定される「ホロ・ライブ」の側の主張もある面では理解できるものとして描かれてはいるが。

「イッカク」

 クジラを運転してロードサイドを行くフリーターと婦人の奇妙な二人旅。主人公が身勝手なくせに他人に文句をつけるばかりに思えてイライラ。

「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」

 多元宇宙から集められたサラ・ピンスカーによる「サラコン」の会場で殺人が起きるという趣向のサスペンス。設定はふざけているが、中身は可能世界の自分をめぐって割としっかりした話が語られる。もっとふざけてもよかったのでは、という気がしないでもないが。あるいは、クリスティの『そして誰もいなくなった』に寄せるなら、自分と同じサラたちの誰もが殺人を犯し得る存在になった恐怖をもっと描いてもよかったのではという気がする。