とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

『即興詩人』森鷗外の恋愛シミュレーションゲーム的可能性

 アンデルセンの長編小説『即興詩人』を読んだ。

 日本では『舞姫』『うたかたの記』『文づかい』と同じような、森鷗外の擬古文による翻訳が有名な作品。私はもともと鷗外が擬古文で書いた三部作が好きで(それこそ昔下手なパロディを試みたことがあるくらい好き)

もしも森鴎外が「魔法少女まどか☆マギカ」を観てから「舞姫」を書いたら

 

『即興詩人』も読みたくて探していたけれどなかなか書店で見つけることができなかった。それが2022年の鷗外没後百年を記念して岩波文庫から復刊されたので、ようやく読むことができたのです。

 晩年の水墨画のような簡潔第一の作品とは180℃異なる『舞姫』や『うたかたの記』のロマンチックさが好きなので、『即興詩人』はその濃い原液を飲んでいるようで読んでいてとても楽しかった。鷗外晩年の史伝ものに「年とるとみなああなる」と否定的だった山田風太郎もこれなら大満足だろう。やっぱこれよな、風さん。

 

 ところが、読み終わって他の人の感想を漁ってみると、鷗外による華麗な翻訳・文体は評価が高い一方で物語の内容自体を評価する声は意外なほど少ない。文庫解説(川口朗)も、訳文については

鷗外の自由自在な訳法と、苦心の華麗な文章が、原作の情熱的な詩情を、ほどほどのおだやかさにやわらげ、優雅なものに洗いあげたのである。

 と称賛するのに対して内容には辛口だ。

結局のところ、イタリアを舞台にした美男と美女の悲恋の物語、しかもハピーエンドの甘いメロドラマ、センチメンタルな大衆小説、そういう二、三流の作品の域を出ないであろう。

 解説はその理由として登場人物に「個性的な厚み、複雑さがない」をまず指摘しているが、これについては「ちがうだろ!!!」と声を大にして言いたい。

 

『即興詩人』は若く才能ある詩人のアントニオがローマ、ナポリヴェネチアを中心にイタリア各地の名所や遺跡を巡り、その土地で起きたイベントをこなしては次の土地へと去っていくRPG的物語だ。

 物語には四人のヒロインが登場する。アントニオは滞在した都市でそれぞれのヒロインと知り合い、なんだかんだあっていい感じの仲になり、これは結ばれるか?というところで思いがけない事件が起きてヒロインと引き離される。この展開が『即興詩人』の基本パターンである。

 

 ローマで出会う絶世の歌姫にして初恋の人アヌンチヤタ

 ナポリで出会う恋に積極的な人妻サンタ

 二度目のローマで出会う幼馴染のシスターフラミニ

 ヴェネチアで出会う清楚可憐な令嬢マリア

 

 さあアントニオ君、君はこの四人のうち誰を選ぶのかね!?という物語なわけです。RPGじゃなくて恋愛シミュレーションゲームだったかもしれない。

 実際彼女たちはゲームや漫画だったら人気が出るような、ツボを抑えたキャラクター造形がされている。

 例えばアヌンチヤタならば、「姫が家にありてのさま」は「我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動」をするように描かれる。舞台の上では喝采を浴びる女王が、家ではいたずら好きな一少女に戻るといったふうに。

 私が一番好きなのは、アントニオとアヌンチヤタがカーニバルの遊びでふざけて喧嘩したあと、花束を投げて仲直りする場面で、『文づかい』のラストを思わせる鷗外の文章と相まって本ッ当に美しい。

娘はアントニオ、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタが聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有らん限を我頭に擲げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳り下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留まりぬ。

 彼女たちには「個性的な厚み、複雑さがない」かもしれないが、キャラは十分立っていて、それがこの小説の魅力の一つになっている。

 近代文学的な人間の内面を掘り下げる方法ではなく、表層的な振舞や属性でキャラクターの魅力を表現する方法は、『うたかたの記』のマリイや『文づかい』のイイダの描き方と共通しているように思われる。

 どちらの方法を用いても傑作を書くことができたのが森鷗外の凄みだが、日本の近代文学がある時期まで前者を「一流」、後者を「二、三流」とみてきた歪みが、文庫解説者の評価に現れているのではないだろうか。

 もし鷗外が『即興詩人』の方法で小説を書き続けていたら日本近代文学は「甘いメロドラマ」ばかりになっていたかもしれないし、恋愛シミュレーションゲーム史的発展を遂げていたかもしれない。想像してごらん、太宰治ラブプラスを書いている世界を……

 

 ところで恋愛シミュレーションゲームには通常ルートでは攻略できない隠しキャラがつきものなので、『即興詩人』にも五人目の隠しキャラがいるのではと疑っている。

 私が見たところ、アントニオの兄貴分で、プレイボーイの貴公子でありながらなぜかアントニオに劣等感を抱く親友のベルナルドオは完全に攻略対象です。序盤の「寄宿舎、親友、二人きり…何も起きないはずはなく…」な展開には本当にドキドキした。

 

 

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