とろろ豆腐百珍

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映画「ナイル殺人事件」感想 ――2022年の『ナイルに死す』

※「ナイル殺人事件」および原作『ナイルに死す』のネタバレを含む感想です。

 

 

はじめに

 ケネス・ブラナー監督・主演の「ナイル殺人事件」が公開されたので観てきました。初見の感想としては、「原作で薄味だった部分に肉付けした結果メインディッシュの味がぼやけてしまった」という印象を持ちました。

 1937年に書かれたアガサ・クリスティの原作小説『ナイルに死す』は何せ手元の文庫版で560ページにおよぶ長編。映画「ナイル殺人事件」ではテーマに沿って登場人物を整理しつつ随所に現代の興行作品として求められる目配せを利かせているだけでなく、原作では割とステレオタイプに描かれた脇を固める人たちのサイドストーリーを短い時間で深掘りしています。その気概はえらい!のですが、かえってメインとなるはずの主役3人の思惑や心情が目立たなくなってしまったと感じました。

 原作『ナイルに死す』最大の魅力は、一組の男女による狂気と裏表の愛を強烈に描いたことだと思います。映画「ナイル殺人事件」では脇役たちやあるいは探偵ポワロ自身のストーリーを掘り下げることで多様な愛のかたちを示そうとしたのだと思いますが、それが散漫さにつながり、原作の持っていた強烈さを失わせてしまったように思えるのです。

 

あらすじ

 美貌の資産家リネットと新婚の夫サイモンは、エジプトにハネムーンに出かけるが、リネットの親友でサイモンの元婚約者ジャクリーンに付け回されていた。二人は居合わせた探偵のエルキュール・ポワロに解決を依頼するが、ナイル川を遡るクルーズ船の船中で殺人が起きる。

 

大きく変わった<容疑者>たち

 あらすじは原作も映画も変わりません。トリックや犯人の動機もほぼ原作通りです。大きく変わっているのは、クルーズ船に同乗する人々、<容疑者>たちの設定でしょう。上流階級の白人がほとんどを占めた原作に対し、映画では階級も肌の色も様々な人々がクルーズ船に乗り合わせることになりました。

 リネットの財産管理人アンドリューはアメリカの中年経営者からセイロン生まれの青年に、エキセントリックなセックス作家サロメ・オッターボーンと娘ロザリーはアメリカ南部から出てきた黒人ブルース歌手と姪の敏腕マネージャーに、それぞれ変更されています。

 また原作では裕福で高慢な老女だったマリー・ヴァン・スカイラーは、共産主義に共鳴する進歩的思想の持主になっています。さらにこれはネタバレですが、スカイラーと看護師のバワーズは同性愛の関係にもあるのです。

 

原作を補う多様な愛のかたち

 男女の愛のみが問題となった原作を超えて、スカイラーとバワーズは男女ペア以外の愛を提示しているといえるでしょう。他にも親子愛や友人同士の親愛、あるいはポワロの亡くした恋人への愛など複数の愛が描かれているのは、原作を補うという意味ではよかったと思います。

 ダンスシーンや会話の中で露骨にセックスが表現されるのも、愛に不可欠な性愛という原作に欠けたピースを補う意図を理解できます(1930年代のイギリス上流人士の振る舞いとしてはお下品~~と感じてしまうけど)。

 でもアブシンベル神殿に立ち並ぶラムセス2世像に手をついてヤリ始めたときはさすがに笑ってしまった。世界遺産で青姦すな!

 一方で原作から削られた要素としては、クルーズ船の乗客の中にエジプトで騒乱を扇動しているテロリストが紛れ込んでいるという点があります。

 これは一見荒唐無稽に思えますしテーマからも外れる要素なのでカットされるのは妥当だと思いますが、当時のエジプトといえばイギリスに近いワフド党が政権を握りつつも、ナショナリズム共産主義が盛り上がっていた時期。エジプト・スーダン国境でテロリストが暗躍するという設定は、出版当時の原作読者には案外リアルに感じられていたのではとも思います。

 アフリカ情勢については映画のラストでウィンドルシャム医師がイギリスに戻らず、西アフリカで貧しい人々の医療に尽くしたいと語っていますが、その国境なき医師団的な発想が当時にあってどこまで現実的だったのか、ちょっと時代背景的には合っていないように感じました。

 

2丁の銃の意味

 犯行トリックも大枠は変わっていませんが、細部はより映画の設定に沿うように変更が加えられています。

 象徴的なのがジャクリーン以外の人物が持っていた2丁の銃。原作ではロザリーの持ち物から22口径の小型銃が、アンドリューの持ち物から護身用の大型リボルバーが見つかります。

 このうち前者は最期に犯人が自決するために、後者は第3の殺人のために使われることになりました。ここではそれぞれの銃には凶器として以上の意味はありません。

 一方映画では22口径の持ち主はサロメになっています。彼女は常に頭に巻いたターバンの内側に銃を隠し持っているのです。その銃はどんな時も武器の用心が欠かせないほどに黒人女性が白人から危険にさらされている現実をポワロに突きつけます。

 アンドリューが犯人にリボルバーを奪われた場面でも同じような現実が描かれます。なぜ机の上に銃を出しっぱなしにしていたのかと詰問された彼は、自分のような肌の色の人間が上陸するときに銃を持っていると発覚したら検問で殺される、だから携帯していなかったのだと言い訳します。ここでも植民地育ちの有色人種が迫害の危険と隣り合わせにあることが示唆されているのです。

 

変わらなかった主役たち

 ここまで書いてきたように、成功・失敗はあれど多くの変更が原作から映画でなされているので、それを探しながら観るのはとても楽しかったです。一方でリネット、サイモン、ジャクリーンの主役3者についてはほぼ原作通りに描かれていたという印象でした。

 リネットは自分の振る舞いが他人を傷つけることに無頓着な性格が強調され、サイモンはちょっと賢くなった印象なのですが(何せ原作では「しかし、彼はとても敏捷ですばやく動けます!」とフォローされるだけのフィジカル全振り太郎だった)、ジャクリーンはほぼそのまま。

 単純に他の登場人物に割かれる時間の割合が増えた結果、メインストーリーの印象が薄れてしまったのが残念なところでした。ジャクリーンが真っ赤なドレスで登場するシーンはとても印象的で、エマ・マッキーの演技も素晴らしかっただけにポワロとの対決シーンをもっと観たかった。

 やはり私はジャッキーが好きなので、いかに人種や階級の問題に目配せしたとしても、ジャッキーが魅力的じゃなければそれは『ナイルに死す』原作でやらなくてもよくないか?と思ってしまうのでした。

 ともあれ、2022年に『ナイルに死す』を映像化するとこうなるだろうなと納得はできる内容ですし、衣装や小道具、色の使い方はゴージャスで魅力的な映画だったので観てよかったです。

 

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