とろろ豆腐百珍

親知らずの炊いたん食べたいね

私はヤンキーになりたかった(知念渉『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』)

 自分の話から始める。

 中学校三年生のときに学級が崩壊した。

 毎週どこかのガラスが割られていたし、毎日火災報知器が鳴らされていた。校庭に吸殻、教室に空き瓶、トイレに避妊具。誰かが首を締められてオトされている光景が日常茶飯事だった。

 別に一部の不良生徒ばかりが荒れていた訳ではなく、私のような根暗な生徒たちも授業時間にPSP(モンスターハンターポータブル 2nd G」や「メタルギアソリッド ポータブルオプス」!)をしたりカードゲーム(これはもちろん「遊戯王」だ)をしていた。

 中学生の私たちにとっては学校に逆らったものこそが英雄であり、腕力と度胸のあるものは暴力で、それを持たないものはより消極的な手段で、授業を妨害することに腐心していた。中でも一番「ヤンチャしてる」生徒はそもそも教室には来ず、顔を見せたとしても教師やクラスメイトを”シメる”だけなのだが、そうした暴力的なふるまいは非力な私にとってひそかな憧れの対象でもあった。憧れによって、男らしさを至上価値に掲げるヒエラルキーの中に自分を位置付け、順応していかざるを得なかったのだと思う。

 高校は公立の進学校に進んだ。

 中学校で身に付けた「ヤンチャ」至上の価値観は進学校の価値観とぶつかり、軋みを立てていった。

 一学期の夏前、英語の授業中に小さな事件が起きた。小テストの解説中に、ある生徒が私語を注意されたことをきっかけに、その注意を聞く姿勢がまた悪かったと説教が始まった。注意を受けた生徒も私語をしていたつもりはなかったようで、軽い言い争いのようになった。

 言い争いは五分間続いた。私はその間、他のクラスメイトの顔をじっと見ていた。

 皆一様に不審の目を、注意を受けている生徒に向けていた。こんな時私のいた中学ならば、誰かが注意されている生徒に加勢したり、あえて別のところで私語を立てたりして、騒ぎを大きくしようとするものだったが、誰もそんな様子は見せなかった。つまらないことを言い立てて時間を使うことに対する苛立ちだけが感じられた。授業が再開された後も、重い静けさが教室を支配していた。注意を受けた生徒は机に突っ伏してふて腐れてしまった。

 ここでは教師に反抗した彼の英雄的行為は讃えられず、五分間も授業を遅滞させたことを責められねばならないのだと、私は知った。慣れ親しんできた価値観が否定された瞬間だった。

 その後の私は旧い「ヤンチャ」至上の価値観を捨て去り、進学校的価値観に馴染もうと努力してきた。受験競争に加わり、国立大学に入学し、高校よりもさらに根深くキャンパスに浸透した学歴・就活至上主義を受け入れ、無難に就職を決めた。その転向は中学生の時と同じく、周囲を支配する価値観に容易に順応しようとする私の小狡さの表れなのかもしれない。けれど、ひとたび中学時代に「ヤンチャな子ら」に求めて得られない憧れを持ってしまったために、常に心の底では優等生の価値観や文化に違和感を持ち続けざるを得なかった。

 地元に帰れば大人になったかつての同級生はいまも「ヤンチャ」を誇っているが、もはや私はそこに入っていくことはできない。かといって優等生たちの出自と教養によるマウントの取り合いにももう付いて行けない。

 

 知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』を読んで、そんな故郷喪失者に似た寂寞に立ち帰らされた。

 著者が大学院生時代からフィールドワークに通った高校は大阪の貧困地区にあり、私が卒業した神奈川のニュータウンにある中学とは異なる部分も多くあるだろうが、描かれている<ヤンチャな子ら>のリアルや、教師や<インキャラ>との関わりの中で営まれる学校生活には、強く納得できる。

 調査対象となった<ヤンチャな子ら>は2009年に高校一年生なので、私にとっては二学年上にあたる。それだけに、外野からイメージで語られることの多かった今までのヤンキー論とは異なる、ほぼ同年代の学生生活がリアルに感じられた。

 

知念:インキャラってさ、何? 結局。インキャラってよく言う?

坂田:言うけど、言うたらおとなしい子、みたいな。(略)

知念:インキャラって例えば誰がいる?

坂田:とくに誰ってわからんな。言うたらおとなしそうな子、みたいな。見た目。(インタビュー、二〇一〇年七月十四日)*1

 

知念:コウジ(非行経験)なんかある?

コウジ:なんもない。おれは<インキャラ>やったから。

中村:ド<インキャラ>やで。(略)

コウジ:ほんまやで。なんもしてへんとか、友達のなかで万引きとかはあったけど、あれとってきてこれとってきてみたいなのはあったけど。べつにおれら何もやろうと思ってないからな、べつに。バイク盗んだことくらいちゃう。(インタビュー、二〇一〇年九月二十六日)*2

 

 例えば、80年代のツッパリや90年代のヤンキーとは異なって、<ヤンチャな子ら>は族やチームといった固定的な集団を作るわけではない。<ヤンチャな子ら>のグループの境界は曖昧で流動的だが、他の生徒や自分たちの言動や実践に<インキャラ>という解釈枠組みを適用することで、グループの内と外を区別し、境界を再構築しているという*3

 PSP遊戯王で遊んでいた中学時代の私などはまさに典型的な「インキャラ」だろう。「インキャラ」だった私自身の記憶を振り返っても、「ヤンチャな」グループの境界は曖昧であり、さらにいえば「ヤンチャな子」と「インキャラ」の境が無くなることもあった。不良がオタクに混じってモンハンや遊戯王をすることもあったし、おとなしいと思われていた子が暴行事件の主犯になることもあった。

 

 十年近くの追跡調査を通して、今まで「ヤンキー」として一くくりに語られてきた<ヤンチャな子ら>の間にも社会経済的事情を背景に亀裂が存在することを明らかにしているのが、この本の一番の功績である。

 

最初、ハローワーク行って、なんやしてるときに、地元のツレのオカンがえらいさんで、たまたま「入れてあげる」って言って。で、社長と専務だけで面接して。合格っていうのは決まってて面接して入ったって感じ。(インタビュー、二〇一四年六月二十九日)*4

 

知念:それどういう紹介だったの、先輩から?

ダイ:知り合いの知り合い。で、何で知り合ったか知らんけど、忘れたけど、(その人)から教えてもらってん。やれへんみたいな。

知念:地元が一緒とかじゃなくて?

ダイ:違う違う、飲み屋で知り合ったんかな、なんか忘れたけど。

知念:へー、どこの人?

ダイ:どこ? いや、大阪の人やけど。あんまプライベート知らんその人は。(インタビュー、二〇一四年九月二十三日)*5

 

 家族や地元のコミュニティとのつながりのある<ヤンチャな子>は「幼なじみ」や「地元のツレのオカン」の紹介で安定した職に就くことができる一方で、地縁も安定した家庭も持たない<ヤンチャな子>は「なんで仲良くなったか知らん」先輩や「ちょっと飲んでた」居酒屋の店員との即興的な関係をたよりに不安定な生活を転々としていく*6

 そうだ、結局は文化資本を親から受け継いだ人間ばかりが優等生になっていくのと同じように、地縁を親から譲り受けた「ヤンチャな子」ばかりが「大人」になっていく。

 地元志向のマイルドヤンキー、などというマーケッターの言説に惑わされるな。

 根無し草の大衆に愛を注げ。村に火をつけ白痴になれ。道なき道を踏みにじり行け迷わず行けよ行けばわかるさ。燃える闘魂もそう言っていた。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。魯迅先生もそう言っていた。

 

私にとって「ヤンキー」とは、とても身近だったのに、大学進学を機に突然「絶対に同一化できない/してはいけない他者」になってしまった存在なのだと思う。こういった言い方が許されるなら、「ありえた(が、もう選びえない)もう一つの生き方」と言ってもいいかもしれない。本書のもとになった調査をするようになってから、いろいろな機会(大学の採用面接でも!)に、「知念さんはヤンキーだったんですか?」と問われるのだが、その問いに私が肯定も否定もできずに言いよどんでしまうのは、ヤンキーに対してそうしたアンビバレンツな感情をもっているからだ。*7

 

 著者は、ヤンキーについて論じているはずが、いつのまにか「自分語り」にスライドして、ヤンキーと呼ばれる人々のリアリティを捉え損ねた、巷のヤンキー論を批判する*8

 自分語りから始めたこの文章もまた、ありふれたヤンキー論に他ならない。また私は著者と異なり、ヤンキーという生き方を選びえたような人間ではないことも自覚している。それでも、わずかに似通ったアンビバレンツを持つものとして、発言せずにはいられなかった。せめてそれによって、寂寞のただ中を突進する勇者に、安んじて先頭をかけられるよう、慰めのひとつも献じたい*9

 

 

*1:知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』青弓社,2018年,p123

*2:前掲,p124

*3:前掲,2018年,p130

*4:前掲,p187

*5:前掲,p194

*6:前掲,p204,214

*7:「あとがき」前掲,p269

*8:前掲,p239

*9:魯迅作・竹内好訳「自序」『阿Q正伝・狂人日記岩波書店,1955年,p13

ラフラのように

 MONDO GROSSOの「ラビリンス」を聞いていたら、満島ひかりが「迷い込んで ラフラのように」と歌っていた。

 ラフラとは何か。

 La Fla フランスかスペインか、どこかヨーロッパの南の方、地中海の強い日差しが似合う響きだと思う。

 ぱっと思い浮かんだのは細かい刺繍の入った織物の束だったが、これはさらさ(更紗)からの連想かもしれない。

 更紗の語源を調べるとポルトガル語のsarassa 、スペイン語のsaraza 、ジャワ語のsrasahなど諸説あるらしい。ジャワを除けば南欧の印象とも一致する。南蛮由来の文物を示す言葉かもしれない。南欧の港町で土壁造りの古い路地の迷宮に迷い込んでいく神秘的なイメージ。

 もしくは生きた化石とよばれる深海鮫・ラブカの仲間かもしれない。細長い身体をウナギのようにくねらせて泳ぐラブカのイメージと「迷い込んで」という歌詞が重なり合う。

 

 ここまで空想してから歌詞カードを開いた。正解は「白夜のように」だった。

 わずかにラビリンス感を失った。

 

60年代インテリ小説とフェティシズム

 インテリという言葉が輝いていた時代があったらしい。

 

 夏目漱石やなんかが帝大で教えていた明治末から学生運動が流行らなくなる70年代ごろまで、主に大学で学問と教養を修めた人間は人間がデキてきて、人間がデキた人間には世の中を良い方向に導いていくことができる能力があるし、その責任があるという考え方があった。いわゆる「教養主義」というやつだ。

 昔の評論やエッセイを読んでいると「インテリの使命」「インテリの課題」を論じたものがたくさん出てくる。一方で当然それに反発する考え方もあって鼻持ちならないインテリはぶっつぶせという主張もされている。

厭な奴、厭な奴。小賢しい奴。こ奴には張って行く肉体がない。頭でっかちの、裸にすれば瘠せっぽちのインテリ野郎。こ奴等は何も持ってやしない。何も出来やしない。喋るだけ、喋くって喋くって何も出て来ない言葉の紙屑だけだ。俺を見て、大学まで行ってと奴等は言うが、俺も大学まで行ってこ奴等みたいになりたかない。

石原慎太郎「処刑の部屋」1956年)

 こうした否定の形であっても、インテリのあり方が意識されていた時代は遠い昔と言えるだろう。同世代の半数が大学に進学する現代ではインテリという言葉自体が死語に近い。

 

 60年代に書かれた小説には「インテリはどうあるべきか」を主題にして流行ったものが多い。『赤頭巾ちゃん気をつけて』『邪宗門』『されどわれらが日々』『青春の蹉跌』などなど。

 学生運動が盛り上がる中で多くの学生がそうした小説を読み、感化され、いまや一人前のインテリ老人になっても若い世代に「青春の一冊」としてそれを奨めるので、それらは古典のような扱いを受けている。

 ところが、これらの小説を実際に読んでみると意外にバカバカしい内容のものが多くて、それなりにおもしろい。

 それは考えてみると当たり前で、作者の政治的主張や小難しいインテリ論とは別にわかりやすい読ませどころがないと、一部の熱狂的政治青年・文学青年だけでなく幅広い層の読者にウケるわけがない。

 そしてその読ませどころはいみじくも三島由紀夫が「悪文のお手本」として挙げたところの「性的なくすぐり」にあることが多いと思う。

 

高橋和巳邪宗門

 例えば高橋和巳の長編『邪宗門*1には颯爽と馬にまたがり乗馬鞭を振り回す自由奔放なお嬢さまが登場する。

「その上に蛇が死んでいるのも知らないで、ふふ」

見違えるような乗馬服を着た行徳阿礼が、馬をあやつりながら鞍の上で笑っていた。紺色の背広姿がいつもより一層阿礼を大人っぽくみせ、襟元から、下着の白いレース飾りがのぞいている。束髪を崩して髪は後に垂らされていた。(p81)

 阿礼は主人公の少年千葉潔のことを気に入りながらも素直になれず召使いのように扱い意地悪ばかりしてしまうという、わかりやすすぎるキャラだが、やたらと鞭を振り回す。

「ことわるよ、そんな臭いこと」阿礼は鞭をふりまわしながら言った。千葉潔が最初に佐伯医師の診断をうけた時の垢だらけの姿を、阿礼は時おり嫌がらせに使った。(p82)

 

乗馬用の鞭がびゅっと空をきって鳴った。それは千葉潔の眼前をかすめただけだったが、彼の頬は皮膚をもぎとられたように一瞬熱くなった。

「盗んだのでないんなら、その鉛筆をだれにもらったのかお言い。言えないの」

行徳阿礼は縁側に仁王立ちして、庭に土下座している千葉潔をにらみすえた。(p197)

  また鞭以外にもツンデレお嬢さまへの(作者の)愛を表すアイテムが他にも登場する。

テニスのラケットをもち、白い運動着にブルーマ姿の行徳阿礼が、モンペ姿の堀江民江や中学服に草鞋ばきの上田荘平を伴って、川原に出てきた。春とはいえ、まだ朝夕は冷えこみの激しい川原に、ブルーマ姿は大胆すぎた。頬だけではなく、すらりと伸びた阿礼の脚が、目を瞠るような桜色に染まっている。(p289)

「ブルーマ姿は大胆すぎた」とわざわざ書くあたり高橋和巳も狙ってやっているとしか思えない。このくだりはストーリーにも全く関係ないので、ちょっとした読者サービスのつもりだったのだろうか。

 第一部のラストで阿礼の父が教主を務める教団が弾圧によって壊滅し、負傷した潔が担架に乗せられ警察へ連行されていく時も、阿礼は馬に乗って駆けつける。

 「不潔者! お前も出ておゆき!」

なにを怒るのか、びしっと鞭がふりおろされ、担架をもっていて身をかばうことのできない有坂卑美子*2の頬に、まともに鞭がとんだ。悲鳴をあげて、有坂卑美子が首をねじったままよろける。耳から唇にかけて、薄い皮膚にみみず腫れができ、刑事が助けるよりも先に彼女は膝を折ってくずれ、千葉潔が担架からころげ落ちた。そして刑事が馬上の娘の振舞にあっけにとられている間に、高い蹄の音を残して、行徳阿礼の馬は本部のほうへ駆けもどっていった。一瞬のできごとだった。(p449)

  結局別れの瞬間までお嬢さまは鞭を振るっているのだった。

 その姿はひと昔前のライトノベルで量産されていた主人公に理不尽な暴力を振るうヒロインと何ら変わらない。

邪宗門』には他にも居候先の義妹、無口な幼馴染、甘えさせてくれる義理の姉と多彩な女性キャラクターが登場し、全員がなぜか主人公に惚れているご都合主義の世界である。

 

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

 他にも庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』*3では裸白衣の美人女医が登場して主人公の高校生薫くんを翻弄する。

彼女は白衣の下に、それこそなんていうか、つまりなんにも着けていなかったのだ。彼女は、医者というよりごく普通のやさしい女性といった感じで、ひざまずいたまま実にゆっくりと包帯を巻き取りにかかったが、ぼくはそのちょっとかがみこむようにしている彼女の胸元から、彼女の眩しいような白い裸の胸とむき出しの乳房を、それこそほぼ完全に見ることができた(そしてもちろんもう吸いつけられたみたいに見てしまった、言うまでもないけれど)。これはまさにどえらい事態と言うべきだった。ぼくはもうあっという間に興奮してしまった。(p42)

  そして大人の女性を演出する小道具としての煙草。

注射がすむと、彼女はまたぼくにゆらめくように微笑みかけ、それからゆっくりと立ちあがった。そして注射器をしまい、代りに白衣のポケットからホープの箱とライターをとり出して窓の方へ歩いていき、煙草をくわえて火をつけた。そしてのけぞるようにして深く吸いこんだ煙を、熱気で曇った窓ガラスにゆっくりといつまでも吐き出した。それは思わず溜息が出るほどの鮮やかで魅力的な煙草の吸い方で、ぼくはなんていうか、彼女の魅力はただその素敵な乳房だけではないのだというようなことを、自分に言いきかせるように考えた。(p46)

  ここでもまた現代のコンテンツでよく見かける様式美のような構図が採用されている。

 

 詰まる所60年代インテリ小説のフェティシズムも現代とあまり変わりないので、ゲバ棒握った政治青年もpixiv10000users入り感覚で小説を読んでいたということなのかもしれない*4

 

 インテリゲンツィアが滅びても絶対的鉄板シチュエーションは滅びない。

*1:すべての宗教団体が有する世直し=革命の思想を描き、全共闘世代に支持された。文藝春秋編『東大教授が新入生にすすめる本』2004年にランクインするなどいまだに一定の人気がある。1965年初出、引用は2014年刊河出文庫版上巻を参照

*2:阿礼の女中として仕えながら潔を〈教弟〉にして庇護し童貞を奪おうと迫る〈教姉〉。よく批判される男性作家の描く歪んだ女性像そのもの

*3:東大紛争で入試が中止になった春、高校三年生の薫くんが変化する社会の中でどう生きていくべきかを悩む日々を『ライ麦畑でつかまえて』を思わせるくだけた文体で描いた青春小説。第61回芥川賞受賞。初出1969年、引用は1995年刊、2002年改版中公文庫版を参照

*4:同時に社会思想は論じられても女性を属性でしか捉えられないインテリの幼稚性を表しているとも言える

名の効用

 映画『レディ・バード』を見た。

 ニューヨーク(都会)の生活に憧れながらサクラメント(田舎)のカトリック校に通うクリスティン(シアーシャ・ローアン)が過ごした高校最後の一年間の青春。

 物語の最後、親からもらった名前に反抗してレディ・バードという新しい名前を自分に付けていたクリスティンが、高校を卒業して一人暮らしをはじめたニューヨークからサクラメントの両親に電話で「クリスティンという名前、気に入っているわ」と伝える場面がある。

 地元を離れたクリスティンが、退屈な田舎町として疎んじていたサクラメントでの日々を大切なものとして受け入れることができるように成長したことを象徴するラストシーン。

 

 ニューヨークに上京してきた若者と新しい名前ということで同じくアメリカの小説家トム・ハンクストム・ハンクス)の「配役は誰だ」(『変わったタイプ』所収)と比べてしまう。

 こちらではアリゾナから女優になる夢を抱いて上京してきたものの何もかもうまくいかないスー・グリーブが名プロデューサーのボブに野暮ったい実名に代わるオノレ―・グッドという新しい名前をつけてもらい成功するというストーリー。

 

 トム・ハンクストム・ハンクスだが『レディ・バード』も監督・脚本のグレタ・ガーヴィグが女優になる前の自身をモデルにした自伝的作品で、二人ともスターになっている。

 アメリカンドリームで成功するには実名がいいのか芸名がいいのかどっちなんだい。きんに君も実名にしていたら筋肉留学に成功していたのかい。

 

茶の話

 たまにお〜いお茶を飲むと旅行に来た気分になるね。

 自分が平生好むところのお茶は綾鷹なので、お〜いお茶を口にするのは研修や出張、合宿といった場で他人から供されたときがほとんどだ。もしくは仕出し弁当に付いてきたときなど。

  そうしたものに伴う日常とはちがった雰囲気が思い出されているのかもしれない。

 祖父や祖母に連れられて旅行に行ったときに飲んでいたのもいつもお〜いお茶だった。まだそれは綾鷹伊右衛門などなかった頃のことである。

 

 昔は駅で弁当と一緒に信楽焼の土瓶に入ったお茶が売られていたそうだ。

 それが次第次第に姿を消してビニールの容器になり、缶になり、ペットボトルになってきた。

 車窓で飲む土瓶入りのお茶は年配者にとって郷愁をさそうものになっているだろう。

 

 自分にとってのお〜いお茶もノスタルジーの対象になっていくのかもしれない。

 

1R1分34秒

 町屋良平「1R1分34秒」を読んだ。

 昼休みに喫茶店で読んだのだが、この疾走感は何なのだろう。

 休みを切り上げて職場に戻ってもまるで仕事をする気にならない。

 そのとき手元にあったメモ帳には

 「文字を追う眼球を思考の速さが追い越して毛細血管をふっとうさせる」

 と走り書き。要は文章のリズムがいいということなのですが、気取ってるね。

 運動とリンクしたボクサーの思考の速さが、文章を読み進める自分にも乗り移る感覚があった。

 デスクに座ってパソコンに向かってる場合じゃねえ!という衝動があった。

 とりあえず高速でメールをタイピングした。

 ファイルを添付し忘れた。

 

 小説のなかで主人公の「ぼく」が同性と肉体的に接近する場面が二度ある。

 一度目は眠っている「友だち」の手のひらの傷に消毒薬を塗る場面、二度目はトレーナーの「ウメキチ」にふくらはぎを揉まれる場面。

 ここの場面がとてもよかった。BL的切なさとはちがう形で、男性同士の関係性を身体感覚を介して表現しているのがすごい。

うーんと唸り、眉を寄せて痛みの夢をみても、友だちは起きない。ぼくはおもしろくなって、汚れをながす用途と兼ねるよう贅沢に、消毒液をぜんぶ友だちの手のひらに注ぎきった。ピンクに染まった皮膚のなかをちいさく菱型にかさなって破れた擦り剥き傷を洗いながすと、二センチほど岩で切ったのだろう切り傷の全貌があらわれてふたたび血を吹きだし、ブクブクと呼吸するようだった。朝陽に反射して、友だちの傷がキラキラひかった。縫うか縫わないか微妙なサイズの傷だ。それほど深くはなさそうだけど、血が充満していて奥までよくみえない。ねむる友だちの傷をみているぼくは妙にきもちがおちついて、いつしかこくこく眠りにおちていた。

 

 11月号の『新潮』に載っています。

日記について

 日記をつける。

 

 最近は日記に関する文章を読むことが多い。

 わかりやすいところでは、荒川洋治という人のエッセイ『日記をつける』。

 有名無名、いろんな人の日記や日記のようなものを紹介した本。

 好きなのはゲーテの「イタリア紀行」を引用したあとの一節。

 一八七七年七月

 二十七日、金曜日。

 なにしろあらゆる美術家が、老いたるも若きも、私の僅かばかりの才能をととのえ、ひろげることに助力してくれる。

 

 天気はパス。いきなり本題に飛び込むのである。でも、突然「なにしろあらゆる」なんていわれてもね。

 

 他には漫画家panpanyaがホームページで公開している日記も読んでいる。

 SURMICLUSSER

 直近だと「フルーツティー」「めりはり」「ツナマヨおにぎり/ボディメンテ」と続いている。すぐに忘れてしまう気になるものや言葉、夢を集めて切り貼りしたスクラップブックのような日記。

「考えたこと」

 人々の頭の中にある「バーベキュー味」を集めて
 平均値をとった「バーベキュー味」と
 実際のバーベキューの味には大きな差があるのではないだろうか

 

 シーチキンの対義語はスカイフィッシュなのではないだろうか

 

 力の抜けた文章が心地よい。たまに絵もある。

 

 同じ『楽園』で連載している漫画家の平方イコルスン(二寸)のウェブログもよい。

 一瞬 - livedoor Blog(ブログ)

 上京して町を散歩した話やyoutubeで聴いた音楽の話に混じって等身大のタラバガニとカニ殺しの名人が戦う話が書かれていたりして油断できない。

 「」という記事は震災後に書かれたあらゆる文章のなかで一番誠実で、これだけでも読んでもらいたい。

 初単行本の『成程』に収録された掌編以来、平方二寸の文章作品は発表されていないがこれほど寂しいことはない。

 

 自分も中学二年以来ずっと日記をつけている。

 なるべくその日起きたことだけでなく感じたことや思ったことを書き付けるようにしている。

 ところが数年後に読み返してみると何をした、どこに行ったと書かれている出来事はたいてい思い出すことができるものの、その時感じたとされている感情はまるで理解できないことの方が多い。

 そのズレは時間が経っているほど大きくなるが、一週間二週間前のことでもどこかに違和感があるものだ。

 本当にこの日記は自分が書いたものなのか。誰か全く別の人間が過ごした一日のことではないのか。

 長い間日記をつけていると、そうした一文に出会うことがある。

 現実と僅かにズレた異世界に手軽に行くことができる。しかも主人公は自分自身。

 なんだ日記とは異世界転生ツールのことだったのか。