とろろ豆腐百珍

親知らずの炊いたん食べたいね

ノワールと機忍兵零牙について

 アニメ『ノワール』と『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』を見た。

 前回投稿したまどマギの二次創作がハーメルンでそれなりに読んでもらえたようなので、まどマギの話をしたほうがいいのだろうが、『ノワール』について書く。以下ネタバレです。

 

 殺しの技術の他に一切の過去の記憶を持たない女子高生霧香と、家族を惨殺した犯人を追うマフィアの娘ミレイユの二人が暗殺ユニット「ノワール」を結成し、「過去への巡礼」へ進んでいくというストーリー。原案・脚本・構成月村了衛の作品らしく、流れるようなガンアクションと、死の運命で結ばれた女同士のアンニュイな感情のやり取りがこれでもかとばかり濃密に描かれる。つまりはフィルム・ノワール✕百合。

 作中で繰り返し霧香とミレイユの道行きは「過去への巡礼」と表現され、『ノワール』の主人公たちは常に「自分は何者なのか」を問われている。三人の登場人物霧香、ミレイユ、そしてクロエ(「私とあなたは「真のノワール」」と告げ霧香に執着する、秘密結社ソルダの刺客)はともに過去の記憶に自分の存在証明を求めている。

 過去の記憶を奪われた霧香は「私は誰」と自問し続け、「全てがわかれば、あんたを殺す」と告げるミレイユは一家惨殺の過去と結び付いているはずの霧香の記憶だけを絆に霧香との一時的な関係を結び、霧香に憧れて暗殺者になった過去を持つクロエは霧香と「真のノワール」になることを夢見る。

 霧香、ミレイユ、クロエ、三人の過去は絡まり合いながら最終話一つ手前の第25話「業火の淵」で最高点を迎えるのだが、この回の三人の構図、立ち位置の入れ代わりが完璧すぎる。

 ソルダの暗殺者として育てられミレイユの両親を自らの手で殺した記憶が蘇った霧香は、ミレイユの前から姿を消し、クロエとともに「真のノワール」となる儀式のための禊(全裸で抱擁、接吻)を済ます。感極まるクロエ、無表情の霧香。式場に追いついたミレイユに銃を向ける霧香「ここはあなたの来るところではない」。当然のように殺し合う霧香とミレイユ。決着の寸前、ミレイユの投げた時計が落ちてオルゴールが流れ、ミレイユの母が遺した言葉が霧香の手を止めさせる。

 割って入ったクロエがミレイユを襲うが、霧香の銃弾がクロエのナイフを折る。愕然として声を震わせるクロエ「どうして……?」。嘘つき、と詰りながらクロエは霧香を襲う。

「パリで暮らすあなたとミレイユは、とても、とても私だったのに! 私のはずだった!」

 武器を手放し、お願いクロエ、もうやめて、と懇願する霧香。クロエは涙を浮かべ、霧香にもらった思い出のフォークを投げ捨てる。霧香は安堵するが、クロエは霧香に背を向け、ナイフを手にミレイユへと走る。咄嗟にミレイユを庇った霧香はクロエの胸にフォークを突き刺していた。記憶の中の霧香を見ながら、憧れの「ノワール」の名を口にして息絶えるクロエ。

「クロエはもう一人の私だった……。私は人を殺せる、人を殺して、私は悲しい……」

 クロエを葬り悲しみに暮れる霧香。もうオルゴールの鳴らない時計を握りしめ、霧香に声をかけるミレイユ。「行こう、霧香。まだ終わりじゃない」。血に濡れたフォークを手に涙を流す霧香をミレイユは抱かない。「行くわよ、霧香」「……うん」。ミレイユの銃に添えられる霧香の手。クロエの遺体にフォークを供え、二人は最後の戦いに立ち去る。

 

 三角関係をこれだけ美しく構築できるのは夏目漱石月村了衛だけ。

 一番切ないのは今まで霧香への想いだけを表していたクロエの、ミレイユへの嫉妬が吐露されるところ。『ノワール』の物語はミレイユから見ると、「真のノワール」である霧香とクロエに対して、当て馬として用意された贋者に過ぎなかったミレイユが、霧香の本当の相棒としての自分をつかみ取るまでの道のりになっているが、贋者であるはずのミレイユの立ち位置こそクロエが望んでいたものだったという皮肉。いわば真贋の反転。なんて劇的。

 そして最終話「誕生」で霧香とミレイユは「真のノワール」となることを拒否するが、そうして戦い続ける二人の姿こそ原初ソルダを体現する「真のノワール」そのものであり、これまでの巡礼そのものがノワール誕生のための儀式だったのではないか、と思わせるところで『ノワール』は終わる。

 この説を認めると結局二人の道のりはソルダの思惑通りだったということになってしまい、過去に起因する不条理な世界の運命から逃れた自分はあり得ない、という結論になってしまいそうだが、霧香が過去からの訪問者であるクロエを斃してミレイユを選び、ミレイユが憎むべき過去の象徴である霧香を赦した上での結末である以上、不条理な世界の運命を自らの意志で捉え直し、選び直すまでの物語と見ることも可能だろう。

 自分は月村了衛の小説は『機龍警察』1作目と『機忍兵零牙』『コルトM1851残月』『天下の副編集長水戸黄門』しか読んだことがないが、「自分は何者なのか」という問いに、過去の記憶を探り、不条理な運命を捉え直すことで答えを出していく月村作品がこの中にもある。『機忍兵零牙』だ。

 詳しくあらすじは書かないが、『零牙』では「さだめ」「記憶」「真贋」といったモチーフが重要な役割を果たしている。光の忍者である光牙の忍びは「本当の世界」の記憶を求めて戦っているし、「陰忍」として本物の姫君を殺して姫に成り代わった贋者の真名姫は罪の記憶に苛まれ、骸魔の忍びとしてのさだめと、光牙者の少女・螢牙との友情のはざまで苦しんでいた。さだめに従い真名は螢牙を殺すが、螢牙は真名を赦し、力と記憶を真名に継承させる。主人公零牙は「螢牙の『記憶』を持ち、『螢火』の術を使う者―それ即ち光牙の螢牙よ」と告げ、「真名」は「螢牙」になった。

 この結末も真名が忍びのさだめに従って生きていくことに違いはないが、螢牙に赦されたことで過去を克服し、陰から光へとさだめを捉え直した構図になっている。霧香とミレイユがノワールを継いだのと同じように、真名も螢牙を継いだといえるのではないか。 

ノワール』も『機忍兵零牙』もいってしまえば自分探しの物語に過ぎないが、月村了衛一流の劇的な構成と(時にトンデモな)演出により、記憶に残る作品になっている。

 そして、いつだって、過去に赦しを与えてくれるのは女同士の情念なのだった。

 

 もっとも、同じようなテーマで既に青柳美帆子さんが評論を書かれているようなので、月村了衛ファンの間では当たり前の話なのかもしれない。ともかく『ノワール』を初めて通しで見て感動したので、その記念に書き連ねてしまった。

小特集◎『機忍兵零牙』×『ノワール』 ・評論 彼女たちの名前 『ノワール』夕叢霧香と『機忍兵零牙』真名 青柳美帆子 では、『未亡旅団』よりも『ノワール』に近い光景を描いているのは、どのような作品なのか? そう、『機忍兵零牙』である。 『ノワール』と『機忍兵零牙』は、「『私』とはいったい何なのか」という問いかけが作品を通して描かれ、最終的に登場人物がその答えを得るという構成になっている。

5月4日の文フリで月村了衛『ノワール』のファンブックを頒布します - アオヤギさんたら読まずに食べた

  

 

NOIR(ノワール) Vol.1(初回限定盤BOX付) [DVD]

 

機忍兵零牙〔新装版〕 (ハヤカワ文庫JA)

機忍兵零牙〔新装版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

(機忍兵零牙は6月に新装版が出るらしいのでみんな読んで)

もしも森鴎外が「魔法少女まどか☆マギカ」を観てから「舞姫」を書いたら

1.

「いざエリス、我と契りて魔法少女となりてよ」

 いとらうたき白き獣ぞ我にたづぬる。四方よりは、げに恐ろしげなる「魔女」の「結界」の我に迫り来つつあり。

 あゝ、誰が知りけむや、「ヰクトリア座」の舞姫とて多少はみやこびと どもに名を知られたる我の、一夜にして父を失ひ、かくの如きさつ なる目にあはんことを。

 

 わが父は肺疾にてはかなくなりぬ。明日は葬らではかな はぬに、家には一銭の貯だになし。日ごろたのみに思ひし「ヰクトリア座」のシャウムベルヒは、剛気なる父の死にたるに附けこみて、我に汚れたる行ひせよと言ひ掛けたり。母は彼に従へと我を打ちつ。

 このあした 、我は母と、明日のはふり を前に 臥床ふしど に伏したる父のなきがらから、逃れるやうに家を出でき。ベルリンの都中をあてもなくさまよへども、何らの手だてなし。一度ならず「シュプレエ」川に身を投げむとせしも、父と我とをともに失ひ、一人遺さるべき母のこと心に浮かびてとどまりたり。疲れはて、クロステルこう まで帰り来し時分には、すでに日も暮れぬ。

 この狭苦しきこうじ に面して、おう の形に引籠みて立ちたる一古寺あり。在りし日の父に聞くに、三百年前の遺跡とぞいひし。この処を過ぎむとするとき、つねはとざ したる寺門の扉の、煌々と輝けるを我は見たり。あやしがりて、つと歩み寄るに、 鋼鉄はがね の扉は音もなく開きぬ。伽藍の内より洩るるあやしき光に心あくがれて、歩み入るうちに、いつしか夢見るやうな心地にぞなりゆける。

 後に知りぬ、すでにわが身の「魔女」が「結界」のうちに取りこまれたりけるを。

 うちつけに甲高き女の笑声と「ピヤノ」の響起こりて、わが耳を聾し去りぬ。はたと我に返りて、引き返さむとせしも、はるか 後方うしろ の扉は閉ざされ、道は断たれたり。四囲の壁よりは、てふ のやうにも 蝙蝠かはほり のやうにも見ゆる真黒き影ども顕れ来つ。「魔女」が「使い魔」なり。女の笑声はいよいよ迫りて刀槍ひとし く鳴り、「ピヤノ」のうちに潜みしいと の鬼はひとりびとりにきはみ なき怨を訴へり。

「もはやこれまで」と観念したるとき、訝しや、わが心のうちにあやしくも鳴り渡りたること葉あり。

「我と契りて魔法少女となりてよ」

 是がわがインキュベヱタアとの出会ひにて、世にも稀なる「魔法少女」が物語の始なりき。

 

魔法少女」とは「魔女」を殺すものの ひなり。

 すでにわが身の「魔女」が「結界」のうちに取り込まれたる上は、「魔法少女」となるほか に手だてはなし。この場にて「魔女」を殺すか、喰ひ殺されるか、二つに一つなれば。

 キュゥべえ――白き獣はかく 名告なの りつ――曰く、「魔法少女」の契りには願ひごとが必要なりと。昔は知らず。今の我にとりて、願ひごとは問はれるまでもなく定まりたるべし。

「父を葬り、母を貧苦より助け、我を救ひたま ふ救ひ主の顕れ来たらむことを」

 キュゥべえと、神もまたわが祈りを聞き届け玉ふにや、暖かき光が 身体からだ を包み、垢つき汚れたるじゅう 綿めん の衣は純白の「レエス」にて飾られたる美しきまひぎぬ に、破れたる編み上げ靴は甲に白き薄絹巻きたる「バレエシュウズ」に変じ、くしけずらざるわがこがねの髪はわた の如くいと軽き「ベエル」にて覆われたり。傍にはうせし仕立物師の父が仕事道具にも似た、身の丈ほどの縫ひ針ぞ刺剣のやうに立ったりつる。

まこと に我は「魔法少女」になりたるか? わが祈りや遂げられむ?」

「案ずべからず、エリス、君が願いは必ず遂げらるべし。されど、今の憂ひは「魔女」なり。いざ、「魔法少女」の力を解き放ち玉へ」

 物語りせしもつかの間、一弾指の間に四囲の「使い魔」ども、赤き黄なるほのお に点じて、無量の火の粉となりて、猛然と我を襲い来たり。されど、我とても十五の歳よりの温習に、今や「ヰクトリア座」第二の地位を占めたる舞姫なり。数奇なる魔法の力を脚に籠め、踏みなれたるステップにて彼をすり抜け行かば、何人も追ひすがり得ず。

 伽藍の大広間にては、「ピヤノ」のしらべに誘はれて国ぐにの軍服着たる士官の泥人形、金剛石の露こぼ るる貴婦人の影絵ども、輪を画きて踊りたり。その真中にて一心に「ピヤノ」に弾じほれたる 欠唇いぐち の笑女あり。彼が「魔女」ならば、この伽藍は「使い魔」どもの舞踏場ならむか。さらば、もっとも華麗に舞ひ得るは我を措きて外にあらじ。 裳裾もすそ 翻して跳び行き、遮るは貴も賤も切り捨てゆきつ。我に心付きてしらべ乱れし「魔女」がけんさい に、 に持ちたる針を突き立てしかば、あはれ、彼は黒き塵となりて散り失せぬ。あとにのこ ししは、小さき珠飾りのやうなるもののみにて。

「そは「グリイフシイド」なり。わりなき「魔法少女」がわざ 報酬むくひ なれば、ゆめな て玉ひそ」

 キュゥべえはさう言ひ掛けつるも、たちま ちにして「魔女」の「結界」も、キュゥべえの姿も消え、いつかもとの寺門の前に我は返れり。もしや、今までのことはすべてうたかたの夢にやあらむと思へども、手の内には白き「ソウルジェム」と黒き「グリイフシイド」の二つあり。足の重さも、戦ひの中で負ひし傷も、また夢ならざることの証なり。思い返せば昨日よりわが身は一片の 麵麭パン だに口にせず。心細さと満身の疲労湧き出で、思はず寺門の扉に り涙をこぼししとき、わが側に倚れる人あり。

「何故に泣き玉ふか。ところにけいるい なきよそびと は、かへりて力を借しやすきこともあらむ」

 これなん太田豊太郎君、願ひに応へてインキュベヱタアのよこせし、わが救ひ主なりき。

 

 2.

 豊太郎の君はまことにわが救ひ主なりき。

 彼は学生の身にて多くはあらざらむたから なげうち て、我と母とを貧苦のうち より救ひ出しぬ。遠きひんがし の「日本国」の留学生たる彼は、いや しき女優の身の上なる我を官舎にも招きて、手づからふみ を教へ、こと葉の訛をも正しぬ。卑しき貸本屋の小説のみ読み習ひし我に、ハイネの詩、シルレルの戯曲など読み聞かせしも彼なり。されど、豊太郎君が我に授けしはそれのみにや? 否、豊太郎の君は、もの知らぬ 処女をとめ の我に、尊き愛の恍惚をもまた教へたるなりき。

 或る日、つねの如く彼がモンビシュウ街の官舎を訪ひし我の手をとりて、豊太郎君は涙をこぼしつ。

「何故に泣き玉ふにや? 一度窮地にありし我を救ひしはおん身なりき。こたびは我がおん身を救ふべきやもしれず。さはりなければ、わけをば話し玉へ」

 なほも暫しの間、彼は口をとざ しつるも、やがておもて うち伏せてこと葉を紡ぎ始めぬ。

「公使はつひに我官を免じたり。彼が余にいひしは、おん身もし即時に郷に帰らば、路用を給すべけれど、もしなほここに在らむには、公の助をば仰ぐべからずとのことなりき。かくの如き論法をもって、彼は余にむかひて、一週日のちには 独逸ドイツ を発つべしと強ひたりき。さらに今日、余は我生涯にてもっと も悲痛を覚へさせたる書状に接しぬ。この書状は、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたるふみ なりき。余はいま母をうしなひ、一週日のちにはエリス、おん身をもまたうしなふべき運命なるべし」

 いひおは りてのち、彼は再び口を緘して声もなく泣きぬ。我もまた彼の数奇を憐みて泣きぬ。

 書院の窓下はいと静にて、ただつくえ の上の時計のみセコンドを打ちつ。

 今にして思へば、彼はこの時沈黙によりてわが憐憫を愛情と錯覚せしめ、「共に暮さむ」のこと葉の、わが口より出づるを待ち居りたりけむ。そは意思弱き彼の常套手段なれば。されど、あはれ、いまだ十七にしてもの知らぬ我エリスは、太田豊太郎君に甘きこと葉と愛の恍惚とを捧げにけり。

 我と豊太郎君との交際を知りて、キュゥべえは喜びぬ。曰く「豊太郎との愛はエリスにとりて希望とならむ。魔法少女が希望の大きく育ちゆくは我らにとりても喜ばしきことなり」と。

 これより先、豊太郎君はモンビシュウ街の官舎を出、クロステル巷の僑居にて我と母と共に暮らすやうになりぬ。彼は官を免ぜられしも、遠き東京の相沢謙吉なる朋友の斡旋にて、某新聞の通信員となり、ベルリンに留まるを得たりき。

 朝の 珈琲カッフェー 果つれば、彼は原稿の材料集めに、我は舞台の温習にといつはりて「魔女」狩りに往かむ。大道髪の如きウンテル・デン・リンデンを行く 隊々くみぐみ の士女、胸張り肩そび えたる士官、 巴里パリ まねびのよそほ ひしたるかよわ 少女をとめ を見よ。首筋に「魔女」の接吻しるしたるはあらんか。人どもを不思議の境地にさそいこみ、「グリイフシイド」の糧となさん「魔女」を殺すがわが使命なるに。昼はキュゥべえと共に「魔法少女」のあやしき舞姫姿に変じて「魔女」を狩り、夜は「ヰクトリア座」の舞姫として舞台に立ちつ。家に帰りては豊太郎の君をむかへて、椅子に寄りて縫ものなどしながら、彼がにぎりし筆の原稿紙の上を走る音聞きながら、眠りに落ちぬ。かく楽しき月日を送るほどに、いくとせ か夢のやうに過ぎて、明治廿一年――是は「日本国」の暦なりけり――の冬は来にけり。

 その朝は日曜なれば豊太郎君も家にあれど、心は楽しからず。数日前より心地悪しく、もの食ふごとに吐きて、我は椅子に寄りて身を休めたり。母は 悪阻つはり にやあらむと言ひしも、豊太郎君は喜ぶにもあらず、寧ろこと葉すくな くなりて、窓外の雪を見つめるばかりなるも、わが心を楽しませず。自然黙しがちになりし折、母が一通の書状を持て来て彼にわたしつ。読み畢りて茫然たるおも もちせる彼は言ひぬ。「おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にここに来て我を呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ」

 今は「日本国」の天方伯に仕ふるといふ相沢が招きなれば、郷里にては忘れられし豊太郎君の、再び世に出るたづきにもならんかと、やや放心せる彼を励まし、かたち をあらため、襟飾りさへ手づから結び、接吻して送り出しつ。されど、へや に独りになりてみれば、あれこれとよからぬことばかりが心に浮かびぬ。我と彼との身分の違ひ、「願ひごと」によりて得たる愛の一抹の後ろめたさ、わが妊娠を知りし彼の覚束なき面がまへ。

「心許なしや? エリス。気がかりならば豊太郎が様子を垣間見すればよかるべし」

 いつしか窓の側に坐したるキュゥべえが言ひぬ。

「如何にして。伯と相沢が身は「ホテル・カイゼルホオフ」にあらむを」

「君は「魔法少女」なり。魔法の力をもてすればいとやすきことなるべし」

 その言にしたがひて、首に下げたる「ソウルジェム」に意を集むれば、遠き「ホテル」の一室、午餐の卓を前にせし二人の男の姿、やうやうわが眼前に像を結びぬ。一人は見紛ふはずもなきわが豊太郎の君、もう一人は豊太郎君と同年輩なる色黒く肥えたる男。かの男が相沢謙吉ならんか。

 はじめ二人は豊太郎君が大臣より委託せられし翻訳のこと、郷里に残りし旧友の消息などを談じ合へり。相沢が快活の気象は 尋常よのつね の官吏の冷酷なるにも似で、時に萎縮せる朋友を励まし、時に声を荒げて有為の人材を排斥しける凡庸なる諸生輩を罵りぬ。されど話頭が転じてわが身の上に入りたるとき、彼は色を正して諌むるやう、かの少女との関係は、 縦令たとひ 彼に誠ありとも、縦令情交は深くなりぬとも、人材を知りての恋にあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。意を決して断てと。

「ああ、彼は甚しき心得違いしつるかな。わが君とく言ひ分け玉へ」

 魔法は像を結べども、声は届けず。豊太郎君は否とはいはず、ただ蒼然たる面持ちして、諾と、頷きぬ。

 

 日課の「魔女」探しにと僑居を出しときはすでに夕暮れなりき。依然心地は優れねど、ここ数月わが「ソウルジェム」は濁りがちになりて「グリイフシイド」 かせずなりぬ。されど、「魔女」の痕跡もとめて大都を漫歩せし折も、「魔女」が「結界」の内に入りてのちも、わが胸中にはわりなき相沢がこと葉と、やをら首を縦に振りし豊太郎君の姿ばかり浮かび来て、我を苦しめつ。豊太郎が君の「優柔不断」の気象は知悉すれど、ことがことなれば。相沢は天方大臣が側近にして、その意を体する者なり。もし彼らが富貴と栄達を食餌に豊太郎君を日本へと誘ひしとき、わが君は我をば見棄て玉はずとはとて も言ひ切れず。我には老ひたる母あり。我には産れん子あり。彼が我を見棄て玉はば、我は如何すべき、産れん子を如何せん。

 激しき戦ひの最中にも思ひは千々に乱れて、脚はとられ、腕は振わず、涙は止めどなく流れ出づ。つひに我は戦ひ敗れて「魔女」が黒き触手に搦め取られたり。触手と見えしは美しきかうべ 、長き頸より幾条も垂れたる「魔女」がべんぱつ の一房にて、わが身を強くきつく締め上げつ。

 ここで死なば、わが君は我を棄て玉はず。 くなりしもわが一定の運命かと、捨て鉢にもなりし時、一陣の風 と吹寄せて、我をくくりし辯髪は根元より刈り取られぬ。

をこ なり。痴なり。音に聞くベルリンの「魔法少女」何するものぞ。この地の「グリイフシイド」はすべてわが掌中に収むべきなり」

 かく声高く叫びつるは、こがね色の断髪を風に吹き散らしたる十七、八の少女。その顔ばせはヱヌスの古彫像を欺き、ふるまひにはおのづか ら気高き処ありて、勢よく突立ちたる姿は女神バワリアの像を思はせり。

「誰そ」「彼女はミュンヘンの「魔法少女」マリイなり。エリスの前に契約を結びし古兵にして、「グリイフシイド」狩るためならば手段択ばぬ癖者なれば用心せよ」

 キュゥべえ顕れ出でて語りたる間も、少女は縦横に白刃を閃かせ忽ち「魔女」の辮髪十数束を尽く刈取りたり。露わになりし「魔女」の姿は 希臘ギリシア 神話にいふ「ケンタウロス」の主客を逆さにしたるやうな馬頭人身の怪物にて、 瞋恚しんい のほむら燃ゆるまま少女に躍り掛からんとす。

「人の胴に馬の面載れるとは、こは醜きまま なり。学ありて才なき美術諸生の口先のみにて彫れる像の如し。かかるえり屑にミネルワの唇いかで触れむや。わが冷たき接吻にて、満足せよ」

 少女は、何処より取り出しけむ「コップ」を手に、中なる水を口にふく むと見えしが、只ひとふき

 噴掛けし霧は「魔女」を包み、眩き光を放ちて炸裂す。

 光やみてのちわが前に立てるは「グリイフシイド」握りたる「魔法少女」マリイ一人なりき。

 

 最早事は畢れりとばかりに、もの言はず立ち去らんとせしも、わが首より下げし「ソウルジェム」見てマリイは気色ばみぬ。

「汝の「ソウルジェム」は将に穢れ果てむとす。説明せよ、インキュベヱタア。この娘に何をさせしか」

「エリスは豊太郎の子を身籠り居りたり。新しき生命を育むにはより大きな活力を要する故に、力の消耗の激しくなるは道理なり」

 キュゥべえの答へにマリイは眉根を寄せつ。

「豊太郎? そは何者なるか」

「太田豊太郎君は「日本国」の人にして、わが救ひ主なり」

「「魔法少女」が身籠るなどと、わりなきことをいふものよ。その男も所詮、異国の空に惑はされし心浅々しき人に過ぎぬべし」

「否、わが豊太郎が君は る人にはあらず」

「ならば汝は、その男に「魔法少女」が運命を打ち明け得るといへるか、つらき運命を知りて猶決してふたごころ 抱かじといへるか」

「……」

 我と問答せし間も、マリイが瞳はわが肩上のキュゥべえから決して離れず。その鋭きこと、あたかも「魔女」に対し居るが如し。

 不意に悪阻の悪しき心地再び襲ひ来て、我は気を失ひて倒れんとす。血の気失せ、眼前には白き靄の広がりて意識の綱を手放さむとせし時、わが身を抱き止めしはマリイなり。彼女が手にしたる「グリイフシイド」をわが「ソウルジェム」に与ふると、俄かに眼底の靄は払はれ、わが心地も小康を得たり。わが身を横たへると、礼をいふ間もなく、マリイは大股にあゆみて去りゆかむとす。

「ベルリンの「魔法少女」よ、その豊太郎なる男とそこな穢らわしき白きけだもの の言はゆめ信ずべからず。思ひ定めて交りを断つべし」

 振りかへりて言ひ遺せしマリイが言は、不思議にも昼間聞きし相沢がこと葉とよく似通ひたりき。

 

 3.

 豊太郎君はやうやう伯に重く用ひられ、わが容体は日にけに深くなりまさりぬ。一月ばかり過ぎて、豊太郎君は伯に随ひ魯国に赴きぬ。しばらくは心細さに日ごとに文を書き、床に臥してわが君のベルリンにかへり玉はむ日を待つのみなりき。

 年の瀬の押し詰まりたる或る朝、その日はめづらしく気分優れ、身体も軽く覚ゆれば、にぎ はしき街の市々を経巡りて、生まれ来る子に与ふる 玩具もてあそびもの 襁褓むつき しろ にすべき木綿布など買ひ求めて歩きたり。

 足の赴くまま大路を過ぎ、獣苑を漫歩せし折、前より歩み来し婦人とわが肩は触れ合へり。咄嗟に頭を下げし我に女は紙袋差し向けつつ一言、

「マロオニイ、セニョレ(栗めせ、君)」

  伊太利イタリー 栗うりの声をまねびてふざ けたるはかの少女マリイなり。

 マリイは「魔女」が「結界」の内で見せし気勢にも似ず、上機嫌にて微笑みたり。されど、わが手に提げし玩具、布地を目に留むると忽ち面を曇らせぬ。

「さてもかたくななる女かな。未だにインキュベヱタアの妄言を信じつるとは。汝が身体は子などえ宿すまじ。おん身が孕むは胎児に非ず、「魔女」なり、「グリイフシイド」なり」

 余りの物言ひに絶句したる我を、少女は誘ひぬ。

「ここには人目もあらむ。わがねぐら に来たまはずや、楽しき昔話の一つも聞かさむに」

 マリイがベルリンにて投宿せし宿は「シュプレエ」川に面したる「ホテル」の一室にて、閉ざしたる窓を徹して寒風吹き込み、辻弾きの、「ヰオロン」の音もあはれに響きたり。

 女主人は、客に中央に据ゑし「ゾファ」を勧め、自らは片隅なる椅子ひき寄せ、窓の下なる小机につら杖つきて語りいでぬ。

「まづ何事よりか話さむ。わがマリイが君の身に起きし、世にも稀なる悲しき遍歴の物語でも披露せむか?」

「否、戯れ玉ふな。先のゆふべ のおん身がこと葉、はかなき戯とおもへば、しひて忘れむとせしこと、幾度か知らねど、まよひ は遂に晴れず。いままた、わが身が宿すは「魔女」なりと、いみじき謎かけにて我をさいなみ玉ふな。洵のことを聞かせ玉へ」

「「魔法少女」が孕むは「魔女」の卵、「グリイフシイド」なり。そのままの意なり。エリス、汝はインキュベヱタアが何故に我らに、「魔法少女」に力を与ふるか知れるや? かの獣どもの目的は、我らの希望の結晶たる「ソウルジェム」が絶望に染まり、「グリイフシイド」へ変じる瞬間、その瞬間に生ずべき膨大な 勢力エネルギヰ を回収するにあり。謂はば彼らは、願ひごとといふ餌もて女をかどわか し、魔法なる芸事を仕込みて、いつは りの希望にて妓女を肥太らす 女衒ぜげん ともいふべき獣にて」

「されど、わが子は、我と豊太郎君との間に産れん子は如何ならむ?」

「インキュベヱタアは、第二次性徴期の少女の希望と絶望の相転移を食餌とす。「魔法少女」が身籠るなどあり得べからざることなり」

「わが身をさいなむ悪阻は」

「はかなき望みが身内にまことのさはりを生ずることもあらむ」

「嘘なり、そらごと なり、おん身は狂ひ玉へり」

「なんとでもいふがよし。汝がクロステル巷の古寺にて初めて討ちし「魔女」を覚ゆるか、あれももと「魔法少女」にして、わがまたなき友なりき。月影に汝が手をすかして見よ、既に汝が手は指尖まで血に濡れたるらむ」

 少女は暫らく黙しつ。我も継ぐべきことば 見つからず。けさより曇りたる空は、雪になりて、川の畔の 瓦斯ガスとう は寂しき光を放ちたり。

 マリイは窓外に目を りぬ。幅広き川の向岸は、往来も殆ど絶へ、戸を閉ざしたる人家の軒下に、 菫花すみれ 売りの娘一人佇みたり。

 マリイ再び口を開きて、

「我にもまた、汝と同じく救ひ主と崇めし男一人ありき。 しくも同じ「日本国」の人にて、画学生なりき。男と初めて逢ひしは、わが十三の歳にして、日々の生計も立てかねて、貧しき子供の群に入りて花売ることを覚えし頃なり。一日、花売るために入りし珈琲店にて、満堂の人々の心なき仕打ち受け、打ちのめされし我に唯一人情けを掛け、世の人を憎むおさな き心を救ひし 異国人ことくにびと あり。幾歳をか経て「魔法少女」になりし折、名も告げず立ち去りしかの人こそわが救ひ主なれ、今一たび、わが救ひ主に逢はせてよ、と我はインキュベヱタアに願ひぬ。果して願ひは叶ひぬ。ミュンヘンの美術学校にて、我はかの男と再会せり。男は画筆を り、我を 雛形モデル として、美しき「ロオレライ」の画を画かむとす。美術学校の「アトリエ」の一間にて、衣を解き、手にひとはり の琴を りて、画額の前に立ちし男に無窮の愛もて微笑み掛けし日々は、夢心地のうちに過ぎぬ。されど、かの男の瞳に映りしは我ならず。彼はわが面影をとほ してラインの岸に歌ふ美しき「ロオレライ」の姿を見しのみなりき。エリス、汝も忘るべからず。日本人は我らを愛するにあらず。我らを透して 欧羅巴ヨーロッパ の美を愛するのみなり」

 マリイのもと を辞して「ホテル」を出でし時、最早冬の陽は落ちて夜に入りぬ。家路をたどる間も雪は繁く降り、帽のひさし 、外套の肩に一寸ばかりも積りにき。

 魯国より帰りし豊太郎君は、塞ぎがちになりて、うはの空なること、しげくなりぬ。

 ニ、三日したる或る日の夕、ろうこう にふさはしからぬ一等 馬車ドロシュケ 、家の前に駐まり、大臣よりの使なりとて、わが君を招き去りぬ。その夜、豊太郎君は遅くまで帰らず。つねならぬ胸さわぎ覚えて、我は ねずに、彼を待ちつ。この間、去る夕「ホテル」の一室にて相沢がわりなき言に、諾、と頷きし彼の像は、かつ消え、かつ結びて、わが心を離るることなし。

 時刻は半夜をや過ぎたりけむ、室の戸のばたりと開く音して、振り返り見れば、変り果てたる姿にて、わが君立ちたりき。面色は蒼然として死人に等しく、髪はおど ろと乱れて、衣は泥まじりの雪に塗れたり。

「いかにかし玉ひし。おん身の姿は」

 眸は視れども見えず、耳は聴けども聞えず。唇はわなわなとふる へ、ゆるせ、ゆるせとうはごと をのみ呟けり。頻りにおのの く膝を支えんとせしか、椅子をつか まんと手を伸ばし、そのままに地に倒れぬ。

 あゝ、この時母のわが傍になければ、わが身は恐ろしき「魔女」に化してけむ。彼は人事を失ひ、わが精神は絶望の淵に臨みぬ。病床に伏せし彼の枕頭に立ちても、わが心の中ではマリイが言、首を振りし夫の像、葬りし「魔女」の姿など、轟々と渦巻きたり。わけをも知らぬ母の、かひがひしき献身によりてのみ、我らは辛うじて命をこの世に繋ぎ留めぬ。

 数週の後、朝はやくから薬もとめにと、母が家を離れし日に、一人の男が戸を叩きぬ。「誰ぞ」と問ふに、「「日本国」天方大臣が書記官、相沢謙吉」と答ふる。その黒き瞳は光なく濁り、いつか見し快活の気象はなりを潜めて、ただ黙然と、陰鬱なる妖気を漂はせたり。

 室に上がりし相沢は、我には一瞥もくれず臥床に歩み寄ると、伏したる豊太郎君を横ざまに抱へ上げ、そのまま戸外に拉し去らんとす。

「あなや、是は如何なることにや。何故にかくの如き狼藉をはたらき玉ふか」

 わが君を返し玉へ、と腕を取りて追ひすがれども、彼は虚ろなる目をして、日本は普請中なり、日本は普請中なり、と繰り言を呟くばかり。つねの人とも思はれぬ怪力にて、わが細腕を振り払ひ、つひに豊太郎君を何処へか連れ去りぬ。されど、もみ合ふうちに我は見にけり。相沢が襟飾りの下に、忌むべき「魔女」の接吻のしるされたるを。我はこの時、始めてわが地位を明視し得たり。

キュゥべえぬし、かくまでに我をば欺きしか」

「聞れざれば答へず。そればかりのことなるよ」

 影より顕れたるキュゥべえ、ぬけぬけと言ふ。

「豊太郎が隠したる顚末は、わが預り知るところにあらず、彼の心の弱きが招きたる事態なり。それを欺くとまで言はれるこそ心外なれ。さてさてエリス、 く豊太郎を追はずともよしや? 彼が病身では「魔女」が「結界」のうちにて長くは保つべからず。君が「ソウルジェム」はほとんど穢れに塗れたるも、決死の一念以てせば「魔法少女」の肉と引きかへに豊太郎を救へるやも」

「その必要はあらず。なべて「魔女」はわが獲物なれば」

 室に三人目の闖入者入来て声を上ぐ。声の主はミュンヘンの「魔法少女」マリイなり。

「「しるし」もちたる男をつけてみれば、エリスが許にたどり着くとは思はざりき。かの「魔女」退治て「グリイフシイド」持て来るほどに、汝はここでしばし待て。さもなくば、そこなインキュベヱタアの思ふ壺ぞ」

 かく告げて、急ぎ去らんとするマリイが背を我は呼び止めつ。

「待たれよマリイ。我もともに行かむ、我を て行き玉へ」

「今の汝が身にては変身さへも耐へかぬべし。「魔法」も為さぬ一介の舞姫に、何やせらるる」

「今はおぼつかなし。されど、豊太郎君はわが夫なり。彼を救ふべきは、我を措きては他にあらじ」

「さても呆れ果てたる娘かな。かくほどにたばかられても、なほかの男に執したるか」

 マリイが声は怒気に震へしも、不思議とわが心は語るほどに落ち着きゆきぬ。

「我をたばからむとせしも豊太郎君なり。我を救ひしもまた豊太郎君なり。二つの顔はどちらが本性といふこともなし。いづれも洵の太田豊太郎なり。わが愛せし豊太郎君なりけり」

 しばしがほど沈黙が流れ、竈の火のはぜる音のみすれど、ややあって、マリイは振り向きもせで、片手を背ろに差し出しつ。

「物狂ひの娘は為む方無し。いざ我とともに来よ。汝が恋ふるその人は「ホテル・カイゼルホオフ」にあり」

 我は少女がこなたへ差しのばしたる右手をとり、指と指とをいとかたくからませたりき。

「カイゼルホオフ」がかどもり に秘書官相沢が室の番号を問ひて、大理石のきざはし を登り、長きわたどの をつたひて、室の扉を開けば、「魔女」の「結界」かつぜん と開きたり。前房からそのまま細く長く奥までのびし廓の、左右両壁には曇なき鏡が嵌まりたり。我らが行手にはボッチチエリの画中より出たるが如き天使が空中に浮かびて、抱へし浄 鏡を、わが面前にぶらさげぬ。

「彼は「魔女」が「使ひ魔」なるか。襲ひ来る気配はなけれど」

「我らが心のうちなる、あだし姿を映して、惑さむとすべし。エリス、ゆめわが手をな放しそ」

 マリイが前なる鏡には、清流の岸のいわ に腰かけて、嗚咽の声を出す「ロオレライ」が、わが前なる鏡には、襁褓をつけしおさな 抱きて、涙をそそ ぎて 欷歔ききょ する「 聖母マドンナ 」が映りたり。

 往きゆきて、廓の果ての奥の室は、六面の鏡が壁となりて六角を結びたる大広間にて、ちょう たくみ を尽したる天井の 弔燭台つりしょくだい は黄蝋の燭を幾つ共なくとも し、遠く漲りし光の波は幾重もの大鏡に照反されて我らを 囲繞いにょう せり。その広間の中央には、これも六面の玻璃鏡にて囲まれたる六角のあづまや あり。その中なる人を認めて、「あ」と我は叫びぬ。かしこに伏したるは豊太郎君なり。「わが豊太郎ぬし、なほ生きてあり玉ふか、君が命絶えなばわが命もまた絶えなむを」

 わが叫びにて「魔女」は目覚めたりけむ。俄に黄蝋の火は燃上り、眩き熱波が我らを包みぬ。

「退がれエリス、「魔女」は我らを焼き殺さむとす」

 弾指の間に「魔法少女」が姿に 変化へんげ したるマリイはわが四囲に障壁をめぐらせ、宙を跳びて幾多の燭を切り落としつ。熱き光の波はうすらげど、残る燭の光は壁の鏡に当たりて、屈折し、集束し、一条の熱線となりてマリイを射むとす。間一髪、身を翻しし少女を第二、第三の熱線が追ふ。

「かくも囲まれてはやり切れず。さるにても、敵が本体は何処に隠れ居るにや」

 いつしか広間にはそこひ知らぬ憂を帯びたる琴の音と、無窮の怨に満たる泣声が、かなしき旋律となりて響きたり。鏡に映る「ロオレライ」と「聖母」の幻が奏するしらべなり。聴くうちに我もマリイも心地乱されて、思惟もおぼつかなくなりゆく。鏡に映りたる幻像には、マリイの「冷たき接吻」も甲斐なくなりぬ。

「豊太郎ぬし。目を覚し玉へ、わが豊太郎ぬし」マリイが奮戦したる間、我は一心に豊太郎君が名を呼びつづけたり。思ひ窮まりて、まさに欷歔しながら幾度も、幾度も。始めは何事もなくてあれど、幾度目のことにやあらむ、彼が身体の横に垂らしたる腕、わづ かに動きたり。その動きをめざとく見つけしはマリイが君なり。

「生きてあり、生きてあり。よろこべエリス、汝が君はなほ生きてありつるよ」

 刹那、叫びて振り返りしマリイが脚を一条の光がつらぬきぬ。障壁も失せ、駆け寄らむとする我に少女は言へり。

「逃げよエリス。この室そのものが「魔女」の腹中にて、取り籠めらるれば一巻の終わりぞ。わが術もて「魔女」の目をくらます故に、その間に豊太郎を救ひて、おん身は疾く逃げ玉へ」

「されど、汝は如何せむ」

 わが問ひには答へず、マリイはいま一度、口に銜みし水を、鏡に映りしおのが分身に向けて噀きかけぬ。霧は忽ち閃光に転じて、閃光は鏡に照りつけ、鏡は閃光を照り返し、満堂の広間を無量光が白く染め上げたりけり。光の中を亭に向ひて走るわが耳を、少女が高き笑声いつまでも聾しつづけぬ。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空しき名のみ、あだなる声のみ」

 六角形の亭の中は、つりづな の切れかかりて左右に揺れたる弔燭台より黒き蝋の粒、二点、三点と絶え間なく垂れ落ちて、煤に塗れたり。寝台に横たはりたる豊太郎君に寄りてみれば、意識はなけれども目は見開き、あるかなきかの微かなる光を宿して、鏡壁の一点を見詰め居たり。鏡壁には、無量の残光が乱離して、虹の如く、さだかならぬ像を結びつつあり。「聖母」の幻なり。射し入る光の加減にて、一刻ごとに面影をかへ、あるは稚児を抱く清らなる少女に、あるはかおばせ いつく しき老母になりぬ。

 ここに映るはわが心のうちなるあだし姿のみならず、豊太郎君が心に住める鬼なるらむ。彼が眼窩からは識らずして尽きぬ涙が溢れ出づ。我は穢れたる「ソウルジェム」に力を籠め、右手に彼のうなじ を抱きたり。

「あはれ、わが君。もはや君が心を苦むるものはなし」

 将にその時、天の鋼索切れて頭上の弔燭台落ちなむとす。

 我はもろ を彼が項に組合せ、名残の接吻を与へにけり。

 わが絶望も、希望も、全ておん身とともにあり。

 

 4.

 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、 熾熱燈しねつとう の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜ごとにここに集ひ来る 骨牌かるた 仲間も、座席に籠りて、食堂車に残れるは我一人のみなれば。

ベルリン発ミュンヘン行の特別急行列車は沿線の小駅を黙殺しながら、鉄路を南へ南へと走りつつあり。停車駅の一つでもたらされし、ビスマルク侯つひに宰相を免ぜらるの報に車中はもちきりなれど、わが心を占むるは一年前の「ホテル・カイゼルホオフ」の夜のことなりき。

 あの夜を境にベルリンを縄張りとせし「魔法少女」は消え、わが「グリイフシイド」狩りもはかどりゆくようになりぬ。脚の傷も癒え、獲物も狩りつくしたれば、もとの塒に戻るは道理なれど、わが心に深く彫りつけられたるエリスが面影のみぞ心残りなる。

 さるにても許せぬは、彼女が命を賭して救ひし日本人、太田豊太郎なり。大臣の一行とともに日本に帰りし彼は、独逸での無節操を恥じることもなく高位の官につき、あらうことかエリスとの愛を自己弁護めきたる小説に脚色して、森某なる変名にて雑誌に載せ、国じゅうに知らしめたるとか聞けり。呆れ果てたる所業なり。されど、我を雛形に「ロオレライ」の画を画きし男もまた、国に帰りて、顚末を浪漫風の書きぶりにて小咄にかへ、出版したると聞けり。確か、その筆名も森某といったやうに覚ゆれど、こは如何なることにや?

 否、考へても為む方無し。ことわりなの世にしあれば、かかる不思議もあるものぞ。確かにいへることは、唯一つ。

 げに、世に誠ならぬは、インキュベヱタアと日本男児ほどはなし。

(終)

 

私はヤンキーになりたかった(知念渉『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』)

 自分の話から始める。

 中学校三年生のときに学級が崩壊した。

 毎週どこかのガラスが割られていたし、毎日火災報知器が鳴らされていた。校庭に吸殻、教室に空き瓶、トイレに避妊具。誰かが首を締められてオトされている光景が日常茶飯事だった。

 別に一部の不良生徒ばかりが荒れていた訳ではなく、私のような根暗な生徒たちも授業時間にPSP(モンスターハンターポータブル 2nd G」や「メタルギアソリッド ポータブルオプス」!)をしたりカードゲーム(これはもちろん「遊戯王」だ)をしていた。

 中学生の私たちにとっては学校に逆らったものこそが英雄であり、腕力と度胸のあるものは暴力で、それを持たないものはより消極的な手段で、授業を妨害することに腐心していた。中でも一番「ヤンチャしてる」生徒はそもそも教室には来ず、顔を見せたとしても教師やクラスメイトを”シメる”だけなのだが、そうした暴力的なふるまいは非力な私にとってひそかな憧れの対象でもあった。憧れによって、男らしさを至上価値に掲げるヒエラルキーの中に自分を位置付け、順応していかざるを得なかったのだと思う。

 高校は公立の進学校に進んだ。

 中学校で身に付けた「ヤンチャ」至上の価値観は進学校の価値観とぶつかり、軋みを立てていった。

 一学期の夏前、英語の授業中に小さな事件が起きた。小テストの解説中に、ある生徒が私語を注意されたことをきっかけに、その注意を聞く姿勢がまた悪かったと説教が始まった。注意を受けた生徒も私語をしていたつもりはなかったようで、軽い言い争いのようになった。

 言い争いは五分間続いた。私はその間、他のクラスメイトの顔をじっと見ていた。

 皆一様に不審の目を、注意を受けている生徒に向けていた。こんな時私のいた中学ならば、誰かが注意されている生徒に加勢したり、あえて別のところで私語を立てたりして、騒ぎを大きくしようとするものだったが、誰もそんな様子は見せなかった。つまらないことを言い立てて時間を使うことに対する苛立ちだけが感じられた。授業が再開された後も、重い静けさが教室を支配していた。注意を受けた生徒は机に突っ伏してふて腐れてしまった。

 ここでは教師に反抗した彼の英雄的行為は讃えられず、五分間も授業を遅滞させたことを責められねばならないのだと、私は知った。慣れ親しんできた価値観が否定された瞬間だった。

 その後の私は旧い「ヤンチャ」至上の価値観を捨て去り、進学校的価値観に馴染もうと努力してきた。受験競争に加わり、国立大学に入学し、高校よりもさらに根深くキャンパスに浸透した学歴・就活至上主義を受け入れ、無難に就職を決めた。その転向は中学生の時と同じく、周囲を支配する価値観に容易に順応しようとする私の小狡さの表れなのかもしれない。けれど、ひとたび中学時代に「ヤンチャな子ら」に求めて得られない憧れを持ってしまったために、常に心の底では優等生の価値観や文化に違和感を持ち続けざるを得なかった。

 地元に帰れば大人になったかつての同級生はいまも「ヤンチャ」を誇っているが、もはや私はそこに入っていくことはできない。かといって優等生たちの出自と教養によるマウントの取り合いにももう付いて行けない。

 

 知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』を読んで、そんな故郷喪失者に似た寂寞に立ち帰らされた。

 著者が大学院生時代からフィールドワークに通った高校は大阪の貧困地区にあり、私が卒業した神奈川のニュータウンにある中学とは異なる部分も多くあるだろうが、描かれている<ヤンチャな子ら>のリアルや、教師や<インキャラ>との関わりの中で営まれる学校生活には、強く納得できる。

 調査対象となった<ヤンチャな子ら>は2009年に高校一年生なので、私にとっては二学年上にあたる。それだけに、外野からイメージで語られることの多かった今までのヤンキー論とは異なる、ほぼ同年代の学生生活がリアルに感じられた。

 

知念:インキャラってさ、何? 結局。インキャラってよく言う?

坂田:言うけど、言うたらおとなしい子、みたいな。(略)

知念:インキャラって例えば誰がいる?

坂田:とくに誰ってわからんな。言うたらおとなしそうな子、みたいな。見た目。(インタビュー、二〇一〇年七月十四日)*1

 

知念:コウジ(非行経験)なんかある?

コウジ:なんもない。おれは<インキャラ>やったから。

中村:ド<インキャラ>やで。(略)

コウジ:ほんまやで。なんもしてへんとか、友達のなかで万引きとかはあったけど、あれとってきてこれとってきてみたいなのはあったけど。べつにおれら何もやろうと思ってないからな、べつに。バイク盗んだことくらいちゃう。(インタビュー、二〇一〇年九月二十六日)*2

 

 例えば、80年代のツッパリや90年代のヤンキーとは異なって、<ヤンチャな子ら>は族やチームといった固定的な集団を作るわけではない。<ヤンチャな子ら>のグループの境界は曖昧で流動的だが、他の生徒や自分たちの言動や実践に<インキャラ>という解釈枠組みを適用することで、グループの内と外を区別し、境界を再構築しているという*3

 PSP遊戯王で遊んでいた中学時代の私などはまさに典型的な「インキャラ」だろう。「インキャラ」だった私自身の記憶を振り返っても、「ヤンチャな」グループの境界は曖昧であり、さらにいえば「ヤンチャな子」と「インキャラ」の境が無くなることもあった。不良がオタクに混じってモンハンや遊戯王をすることもあったし、おとなしいと思われていた子が暴行事件の主犯になることもあった。

 

 十年近くの追跡調査を通して、今まで「ヤンキー」として一くくりに語られてきた<ヤンチャな子ら>の間にも社会経済的事情を背景に亀裂が存在することを明らかにしているのが、この本の一番の功績である。

 

最初、ハローワーク行って、なんやしてるときに、地元のツレのオカンがえらいさんで、たまたま「入れてあげる」って言って。で、社長と専務だけで面接して。合格っていうのは決まってて面接して入ったって感じ。(インタビュー、二〇一四年六月二十九日)*4

 

知念:それどういう紹介だったの、先輩から?

ダイ:知り合いの知り合い。で、何で知り合ったか知らんけど、忘れたけど、(その人)から教えてもらってん。やれへんみたいな。

知念:地元が一緒とかじゃなくて?

ダイ:違う違う、飲み屋で知り合ったんかな、なんか忘れたけど。

知念:へー、どこの人?

ダイ:どこ? いや、大阪の人やけど。あんまプライベート知らんその人は。(インタビュー、二〇一四年九月二十三日)*5

 

 家族や地元のコミュニティとのつながりのある<ヤンチャな子>は「幼なじみ」や「地元のツレのオカン」の紹介で安定した職に就くことができる一方で、地縁も安定した家庭も持たない<ヤンチャな子>は「なんで仲良くなったか知らん」先輩や「ちょっと飲んでた」居酒屋の店員との即興的な関係をたよりに不安定な生活を転々としていく*6

 そうだ、結局は文化資本を親から受け継いだ人間ばかりが優等生になっていくのと同じように、地縁を親から譲り受けた「ヤンチャな子」ばかりが「大人」になっていく。

 地元志向のマイルドヤンキー、などというマーケッターの言説に惑わされるな。

 根無し草の大衆に愛を注げ。村に火をつけ白痴になれ。道なき道を踏みにじり行け迷わず行けよ行けばわかるさ。燃える闘魂もそう言っていた。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。魯迅先生もそう言っていた。

 

私にとって「ヤンキー」とは、とても身近だったのに、大学進学を機に突然「絶対に同一化できない/してはいけない他者」になってしまった存在なのだと思う。こういった言い方が許されるなら、「ありえた(が、もう選びえない)もう一つの生き方」と言ってもいいかもしれない。本書のもとになった調査をするようになってから、いろいろな機会(大学の採用面接でも!)に、「知念さんはヤンキーだったんですか?」と問われるのだが、その問いに私が肯定も否定もできずに言いよどんでしまうのは、ヤンキーに対してそうしたアンビバレンツな感情をもっているからだ。*7

 

 著者は、ヤンキーについて論じているはずが、いつのまにか「自分語り」にスライドして、ヤンキーと呼ばれる人々のリアリティを捉え損ねた、巷のヤンキー論を批判する*8

 自分語りから始めたこの文章もまた、ありふれたヤンキー論に他ならない。また私は著者と異なり、ヤンキーという生き方を選びえたような人間ではないことも自覚している。それでも、わずかに似通ったアンビバレンツを持つものとして、発言せずにはいられなかった。せめてそれによって、寂寞のただ中を突進する勇者に、安んじて先頭をかけられるよう、慰めのひとつも献じたい*9

 

 

*1:知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』青弓社,2018年,p123

*2:前掲,p124

*3:前掲,2018年,p130

*4:前掲,p187

*5:前掲,p194

*6:前掲,p204,214

*7:「あとがき」前掲,p269

*8:前掲,p239

*9:魯迅作・竹内好訳「自序」『阿Q正伝・狂人日記岩波書店,1955年,p13

ラフラのように

 MONDO GROSSOの「ラビリンス」を聞いていたら、満島ひかりが「迷い込んで ラフラのように」と歌っていた。

 ラフラとは何か。

 La Fla フランスかスペインか、どこかヨーロッパの南の方、地中海の強い日差しが似合う響きだと思う。

 ぱっと思い浮かんだのは細かい刺繍の入った織物の束だったが、これはさらさ(更紗)からの連想かもしれない。

 更紗の語源を調べるとポルトガル語のsarassa 、スペイン語のsaraza 、ジャワ語のsrasahなど諸説あるらしい。ジャワを除けば南欧の印象とも一致する。南蛮由来の文物を示す言葉かもしれない。南欧の港町で土壁造りの古い路地の迷宮に迷い込んでいく神秘的なイメージ。

 もしくは生きた化石とよばれる深海鮫・ラブカの仲間かもしれない。細長い身体をウナギのようにくねらせて泳ぐラブカのイメージと「迷い込んで」という歌詞が重なり合う。

 

 ここまで空想してから歌詞カードを開いた。正解は「白夜のように」だった。

 わずかにラビリンス感を失った。

 

60年代インテリ小説とフェティシズム

 インテリという言葉が輝いていた時代があったらしい。

 

 夏目漱石やなんかが帝大で教えていた明治末から学生運動が流行らなくなる70年代ごろまで、主に大学で学問と教養を修めた人間は人間がデキてきて、人間がデキた人間には世の中を良い方向に導いていくことができる能力があるし、その責任があるという考え方があった。いわゆる「教養主義」というやつだ。

 昔の評論やエッセイを読んでいると「インテリの使命」「インテリの課題」を論じたものがたくさん出てくる。一方で当然それに反発する考え方もあって鼻持ちならないインテリはぶっつぶせという主張もされている。

厭な奴、厭な奴。小賢しい奴。こ奴には張って行く肉体がない。頭でっかちの、裸にすれば瘠せっぽちのインテリ野郎。こ奴等は何も持ってやしない。何も出来やしない。喋るだけ、喋くって喋くって何も出て来ない言葉の紙屑だけだ。俺を見て、大学まで行ってと奴等は言うが、俺も大学まで行ってこ奴等みたいになりたかない。

石原慎太郎「処刑の部屋」1956年)

 こうした否定の形であっても、インテリのあり方が意識されていた時代は遠い昔と言えるだろう。同世代の半数が大学に進学する現代ではインテリという言葉自体が死語に近い。

 

 60年代に書かれた小説には「インテリはどうあるべきか」を主題にして流行ったものが多い。『赤頭巾ちゃん気をつけて』『邪宗門』『されどわれらが日々』『青春の蹉跌』などなど。

 学生運動が盛り上がる中で多くの学生がそうした小説を読み、感化され、いまや一人前のインテリ老人になっても若い世代に「青春の一冊」としてそれを奨めるので、それらは古典のような扱いを受けている。

 ところが、これらの小説を実際に読んでみると意外にバカバカしい内容のものが多くて、それなりにおもしろい。

 それは考えてみると当たり前で、作者の政治的主張や小難しいインテリ論とは別にわかりやすい読ませどころがないと、一部の熱狂的政治青年・文学青年だけでなく幅広い層の読者にウケるわけがない。

 そしてその読ませどころはいみじくも三島由紀夫が「悪文のお手本」として挙げたところの「性的なくすぐり」にあることが多いと思う。

 

高橋和巳邪宗門

 例えば高橋和巳の長編『邪宗門*1には颯爽と馬にまたがり乗馬鞭を振り回す自由奔放なお嬢さまが登場する。

「その上に蛇が死んでいるのも知らないで、ふふ」

見違えるような乗馬服を着た行徳阿礼が、馬をあやつりながら鞍の上で笑っていた。紺色の背広姿がいつもより一層阿礼を大人っぽくみせ、襟元から、下着の白いレース飾りがのぞいている。束髪を崩して髪は後に垂らされていた。(p81)

 阿礼は主人公の少年千葉潔のことを気に入りながらも素直になれず召使いのように扱い意地悪ばかりしてしまうという、わかりやすすぎるキャラだが、やたらと鞭を振り回す。

「ことわるよ、そんな臭いこと」阿礼は鞭をふりまわしながら言った。千葉潔が最初に佐伯医師の診断をうけた時の垢だらけの姿を、阿礼は時おり嫌がらせに使った。(p82)

 

乗馬用の鞭がびゅっと空をきって鳴った。それは千葉潔の眼前をかすめただけだったが、彼の頬は皮膚をもぎとられたように一瞬熱くなった。

「盗んだのでないんなら、その鉛筆をだれにもらったのかお言い。言えないの」

行徳阿礼は縁側に仁王立ちして、庭に土下座している千葉潔をにらみすえた。(p197)

  また鞭以外にもツンデレお嬢さまへの(作者の)愛を表すアイテムが他にも登場する。

テニスのラケットをもち、白い運動着にブルーマ姿の行徳阿礼が、モンペ姿の堀江民江や中学服に草鞋ばきの上田荘平を伴って、川原に出てきた。春とはいえ、まだ朝夕は冷えこみの激しい川原に、ブルーマ姿は大胆すぎた。頬だけではなく、すらりと伸びた阿礼の脚が、目を瞠るような桜色に染まっている。(p289)

「ブルーマ姿は大胆すぎた」とわざわざ書くあたり高橋和巳も狙ってやっているとしか思えない。このくだりはストーリーにも全く関係ないので、ちょっとした読者サービスのつもりだったのだろうか。

 第一部のラストで阿礼の父が教主を務める教団が弾圧によって壊滅し、負傷した潔が担架に乗せられ警察へ連行されていく時も、阿礼は馬に乗って駆けつける。

 「不潔者! お前も出ておゆき!」

なにを怒るのか、びしっと鞭がふりおろされ、担架をもっていて身をかばうことのできない有坂卑美子*2の頬に、まともに鞭がとんだ。悲鳴をあげて、有坂卑美子が首をねじったままよろける。耳から唇にかけて、薄い皮膚にみみず腫れができ、刑事が助けるよりも先に彼女は膝を折ってくずれ、千葉潔が担架からころげ落ちた。そして刑事が馬上の娘の振舞にあっけにとられている間に、高い蹄の音を残して、行徳阿礼の馬は本部のほうへ駆けもどっていった。一瞬のできごとだった。(p449)

  結局別れの瞬間までお嬢さまは鞭を振るっているのだった。

 その姿はひと昔前のライトノベルで量産されていた主人公に理不尽な暴力を振るうヒロインと何ら変わらない。

邪宗門』には他にも居候先の義妹、無口な幼馴染、甘えさせてくれる義理の姉と多彩な女性キャラクターが登場し、全員がなぜか主人公に惚れているご都合主義の世界である。

 

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

 他にも庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』*3では裸白衣の美人女医が登場して主人公の高校生薫くんを翻弄する。

彼女は白衣の下に、それこそなんていうか、つまりなんにも着けていなかったのだ。彼女は、医者というよりごく普通のやさしい女性といった感じで、ひざまずいたまま実にゆっくりと包帯を巻き取りにかかったが、ぼくはそのちょっとかがみこむようにしている彼女の胸元から、彼女の眩しいような白い裸の胸とむき出しの乳房を、それこそほぼ完全に見ることができた(そしてもちろんもう吸いつけられたみたいに見てしまった、言うまでもないけれど)。これはまさにどえらい事態と言うべきだった。ぼくはもうあっという間に興奮してしまった。(p42)

  そして大人の女性を演出する小道具としての煙草。

注射がすむと、彼女はまたぼくにゆらめくように微笑みかけ、それからゆっくりと立ちあがった。そして注射器をしまい、代りに白衣のポケットからホープの箱とライターをとり出して窓の方へ歩いていき、煙草をくわえて火をつけた。そしてのけぞるようにして深く吸いこんだ煙を、熱気で曇った窓ガラスにゆっくりといつまでも吐き出した。それは思わず溜息が出るほどの鮮やかで魅力的な煙草の吸い方で、ぼくはなんていうか、彼女の魅力はただその素敵な乳房だけではないのだというようなことを、自分に言いきかせるように考えた。(p46)

  ここでもまた現代のコンテンツでよく見かける様式美のような構図が採用されている。

 

 詰まる所60年代インテリ小説のフェティシズムも現代とあまり変わりないので、ゲバ棒握った政治青年もpixiv10000users入り感覚で小説を読んでいたということなのかもしれない*4

 

 インテリゲンツィアが滅びても絶対的鉄板シチュエーションは滅びない。

*1:すべての宗教団体が有する世直し=革命の思想を描き、全共闘世代に支持された。文藝春秋編『東大教授が新入生にすすめる本』2004年にランクインするなどいまだに一定の人気がある。1965年初出、引用は2014年刊河出文庫版上巻を参照

*2:阿礼の女中として仕えながら潔を〈教弟〉にして庇護し童貞を奪おうと迫る〈教姉〉。よく批判される男性作家の描く歪んだ女性像そのもの

*3:東大紛争で入試が中止になった春、高校三年生の薫くんが変化する社会の中でどう生きていくべきかを悩む日々を『ライ麦畑でつかまえて』を思わせるくだけた文体で描いた青春小説。第61回芥川賞受賞。初出1969年、引用は1995年刊、2002年改版中公文庫版を参照

*4:同時に社会思想は論じられても女性を属性でしか捉えられないインテリの幼稚性を表しているとも言える

名の効用

 映画『レディ・バード』を見た。

 ニューヨーク(都会)の生活に憧れながらサクラメント(田舎)のカトリック校に通うクリスティン(シアーシャ・ローアン)が過ごした高校最後の一年間の青春。

 物語の最後、親からもらった名前に反抗してレディ・バードという新しい名前を自分に付けていたクリスティンが、高校を卒業して一人暮らしをはじめたニューヨークからサクラメントの両親に電話で「クリスティンという名前、気に入っているわ」と伝える場面がある。

 地元を離れたクリスティンが、退屈な田舎町として疎んじていたサクラメントでの日々を大切なものとして受け入れることができるように成長したことを象徴するラストシーン。

 

 ニューヨークに上京してきた若者と新しい名前ということで同じくアメリカの小説家トム・ハンクストム・ハンクス)の「配役は誰だ」(『変わったタイプ』所収)と比べてしまう。

 こちらではアリゾナから女優になる夢を抱いて上京してきたものの何もかもうまくいかないスー・グリーブが名プロデューサーのボブに野暮ったい実名に代わるオノレ―・グッドという新しい名前をつけてもらい成功するというストーリー。

 

 トム・ハンクストム・ハンクスだが『レディ・バード』も監督・脚本のグレタ・ガーヴィグが女優になる前の自身をモデルにした自伝的作品で、二人ともスターになっている。

 アメリカンドリームで成功するには実名がいいのか芸名がいいのかどっちなんだい。きんに君も実名にしていたら筋肉留学に成功していたのかい。

 

茶の話

 たまにお〜いお茶を飲むと旅行に来た気分になるね。

 自分が平生好むところのお茶は綾鷹なので、お〜いお茶を口にするのは研修や出張、合宿といった場で他人から供されたときがほとんどだ。もしくは仕出し弁当に付いてきたときなど。

  そうしたものに伴う日常とはちがった雰囲気が思い出されているのかもしれない。

 祖父や祖母に連れられて旅行に行ったときに飲んでいたのもいつもお〜いお茶だった。まだそれは綾鷹伊右衛門などなかった頃のことである。

 

 昔は駅で弁当と一緒に信楽焼の土瓶に入ったお茶が売られていたそうだ。

 それが次第次第に姿を消してビニールの容器になり、缶になり、ペットボトルになってきた。

 車窓で飲む土瓶入りのお茶は年配者にとって郷愁をさそうものになっているだろう。

 

 自分にとってのお〜いお茶もノスタルジーの対象になっていくのかもしれない。