とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

朝ドラが嫌い(佐藤卓己『青年の主張 まなざしのメディア史』)

 朝ドラが嫌いだ。

 朝ドラを嫌いな人間にとって家族そろっての朝の食卓は一家団欒の証ではなく、不愉快な一日の予告編でしかない。わが家の食卓でもいつも朝ドラが流れていたが、町子だの陽子だの梅ちゃん先生だのの恋の行く末や事件の展開について語り合う両親の会話をよそに、不機嫌に黙り込んでただ食物を咀嚼し続けるだけの15分間を毎朝過ごしていた。

 一年の計は元旦にあり。ならば一日の計は朝食にあるはずで、その時間を不機嫌なまま過ごすことはその日一日の不調につながり、それが毎朝続けば人生全体の不調につながるに違いない。朝ドラの存在が少年時代の自分の人格形成にマイナスの影響を与えた可能性だってあるのだ。

 

 清く明るく美しく、どんな困難にもめげずに立ち上がり、小さいけれどたくましく自分の人生を懸命に歩んでいきます! こうした主人公像は多かれ少なかれ朝ドラを見たことがある人の多くに共有されていると思う。

 2010年ごろ、「海空花子」というネタを吉本のアロハという(もう解散してしまった)コンビがやっていた。どんな時でも全力ダッシュ、唐突に「うちには夢があるんです」と語り出す、失敗を注意されても「うち、関西出身やから」、工場のライン作業でも「ひとつひとつに魂込めたいんや!」、「上を向いて歩こう」を大声で歌い、「うちはダルマや、転んでも起き上がる、海空花子です!」…

 このネタが成立するのも観客に”海空花子”的ヒロインのイメージが共有されていたからだ。もちろん「最近の朝ドラにはそんな主人公はいない」という声はあるだろうが、実際のドラマの内容ではなく視聴者のイメージとして”海空花子”は存在する。

 YouTubeから直接開かないと再生できないみたいですが、一応)

 

 自分が朝ドラを嫌いなのもこの現実離れした模範的少女”海空花子”が鼻につくからだとずっと思っていたが、どうも少し違うことに佐藤卓己『青年の主張』を読んでいて気が付いた。

 

 佐藤卓己『青年の主張 まなざしのメディア史』は朝ドラと同じNHKの国民的番組として1955年から1989年(後継番組の「青春メッセージ」は2004年)まで放送された「青年の主張」を「内容・真偽」ではなく「形式・影響」に注目して研究したメディア史の本。毎年成人の日にNHKホールから生中継された「青年」たちの主張とそれに対する反応の変遷が全年度にわたって詳しく分析されており、「青年」から「若者」への若年層の拡大と主体の変化や「感動ポルノ」、「意識高い系」といった現代の若者・メディア論につながる部分もあって面白かった。430ページは分厚いけれど。

 小学生の少年T、つまり著者が「青年の主張」に興味を持ったきっかけは、お茶の間でこたつに座りながら番組を見ている時に背中に感じた「教育のまなざし」の居心地の悪さだという。サブタイトルにも掲げられているその「まなざし」とは、「青年の主張」出場者に向けられた年配世代のまなざしであり、成人の日の新聞の社説や国会前デモに参加するSEALDsに感激する高齢者が若者に向けるまなざしと同類だ。

かつて少年Tが感じた「居心地の悪さ」を私はようやく言語化できるようになった。しばしば指摘される「青年の主張っぽい」内容でも、あか抜けない発話スタイルではなく、それを優しく、かつ無責任に直視できる大人のまなざしに少年Tは反発していたのである。そのまなざしの求めに応じた青年の側にも責任はあるとしても、この「まなざしの共犯関係」でより大きな責任を問われるべきは大人の視聴者、それを伝えたメディアである。 (p17)

 

 自分も少年Tと全く同じだ。自分が朝ドラを嫌いな理由も、”海風花子”が嫌いだからではなかった。”海風花子”を無責任に肯定できる大人のまなざしに反発していたからだった。

あまちゃん」ブーム以来人気が復活したといわれる朝ドラだが、その物語が依然として主人公の人生を演じる女優と同じ10代後半~20代の若者ではなく年配世代のまなざしに支えられているのは明らかだろう(次作「半分、青い。」の宣伝文を見よ!)。

失敗って、楽しい。今日とは違う明日が、きっと見つかるから――

私たちの社会は、いつから失敗を恐れ、許さないようになってしまったのでしょう。そんな社会は窮屈です。

故郷である岐阜県と東京を舞台に、ちょっとうかつだけれど失敗を恐れないヒロインが、高度成長期の終わりから現代までを七転び八起きで駆け抜け、やがて一大発明をなしとげるまで、およそ半世紀の物語を紡ぎだしていきます。

何かを半分失っても、ほかのやり方で前に進めばいい。

あぶなっかしくもバイタリティーあふれるヒロインの冒険が、2018年の朝を明るくします。 

(引用:《平成30年度前期 連続テレビ小説》は北川悦吏子さんのオリジナル作品に決定! 半分、青い。 |NHK_PR|NHKオンライン

 

 しかもそこには「教育のまなざし」だけでなく、舞台となる古き良き時代への「郷愁のまなざし」も加わってくる。それに応えようとする限り、東京五輪大阪万博、平成改元とメモリアルなイベントが近付くたびに「ALWAYS」的で「海空花子」的な朝ドラが出てくるんだろうなと思う。

 

青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

 

 

ハレグゥとスペシャル

 トーチwebで連載中の平方イコルスンスペシャル』を2巻まで読んだがめちゃ良かった。変と和(なご)がそのまま共存しとる世界。特に2巻で葉野が一歩踏み出す時の臆とか悔とか勇とか「仲良くなる」ってこういうことだよなー、って感じでコミュニケーションの教科書として義務教育に組み込んでほしいくらいだ。

 

 ところで自分は金田一蓮十郎の『ジャングルはいつもハレのちグゥ』を幼児のころから刻まれて育ったのでギャグやコメディを読むといつもハレグゥを思い浮かべてしまうのだが、スペシャルは特にハレグゥと似ていると感じた。

 ハレとグゥ、葉野と伊賀のふたりが出会うところから物語が始まり、個性的な(というか”変”な)周囲の人々とのエピソードを重ねながらふたりの関係性が深まっていく基本的な流れだったり、物語の核になるグゥや伊賀の謎に拘っているのがハレと葉野だけ(正確にはグゥの謎は周囲に認識されていないが、伊賀の謎は当然のこととして受け入れられていて周囲の誰も謎として扱っていないという違いはあるが)だったり。

 そういう登場人物の関係性や構図が似ているのもあるけど、常識人ポジション(『ハレグゥ』後半のハレは常識人ではないと思うが)であるハレと葉野の人間関係に対する真摯さというか気の回し方が近いと、葉野がヘルメットについて訊ねることで嫌われるのではと臆病になるところや自分の言動を「自戒せい」とつぶやくところに感じる。

 ギャグ世界のハレはツッコミという力で関係性の壁を超えられるけど、葉野はそのツッコミも持たない。だからこそ壁を一つ乗り越えたときの「何つー安堵だ……」の独白にめちゃくちゃ感動してしまったのだった。

 

スペシャル 2 (torch comics)

スペシャル 2 (torch comics)

 

 

 Amazonに紙媒体の取扱いがないということは電子版を出して絶版になったのだろうか。地味にショック)

 

おたくたちのセーラー服と機関銃

 最近『セーラー服と機関銃』という映画を観た。橋本環奈や長澤まさみではなく薬師丸ひろ子主演のやつだ。

 薬師丸ひろ子の無垢な可愛さと二作目の相米慎二監督ら演出を手掛ける大人たちのギラギラに尖った暗いエネルギーが互いを際立たせていて面白かった(中高生のときに前情報なしでいきなり見せられたら、は? となるだろうなとも思った)。

 

 映画の中で一つ気になったのは薬師丸ひろ子が何度も呼びかける「おたく」という言葉だ。もちろん現在の声優オタク、プラモオタク、アニオタ、ドルオタ……といったある分野の重度のファンを意味する「おたく」ではないし、キモイやつという蔑称としての「おたく」ではない。そうした意味を与えられる前の、ただの二人称としてのおたく、いわば原「おたく」である。

 

 おたくが今のような意味で使われるようになった起源には諸説あるが、Wikipediaに紹介されている

 1983年中森明夫が『漫画ブリッコ』のコラムでコミケに集まる集団を「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」「友達に「おたくら さぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」と評し、「彼らをおたくと命名する」と蔑称・名詞として用い、以後アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった 

というのが一番メジャーな説だろう。で、なぜ当時のマニア少年が「おたくら さぁ」という二人称を使っていたかというと、「君」「お前」「あなた」といった言葉につきまとう上下関係を超えて、対等な関係を築ける呼びかけとして使われたらしい(これもWikipedia説)。

 一方、ネットに上がっている実際におたくだった人たちの見解は

わたしが知る限り、所謂おたくの人々に「おたく」という二人称を使わしめるきっかけとなったのは平井和正である。
 (……)彼に「ウルフガイ・シリーズ」という佳作がある。これは不死身の狼男が主人公である一連の(正確にはニ連の、である。そんな言い回しはないが)ハードボイルドSFなのだが、その主人公犬神明が「おたく」という二人称を使っていた。私が中学高校の頃には私を含めこの作品に影響を受けた友人が多数おり、我々の間で「おたく」という二人称がしばしば使われていた。同じような人間は全国に多かったのではないかと思う。(Sorekika 【第78回】

 

超時空要塞マクロス』のヒカルというキャラクターは、相手に対して使う第二人称として「おたく」という言葉を用いた。元来これは、ちょっと不良っぽい、もしくはヤクザがかった人が斜に構えて相手に声をかける場合に使う第二人称の呼称であり、少なくとも当時はこの言葉はなかなか格好がよかったため、ニヒルを気取った者は結構よく使っていた。当時アニメファンだった連中は、内心自分はインテリだと思って気取っていたせいか、この言葉を好んで使う傾向があった。 (WWF No.17 用語解説「おたく」

 といったものだ。また、上に挙げた二つのサイトでは岡田斗司夫の「そもそもおたくはコミケなどで見ず知らずの人間と積極的にコミュニケーションをとる。そのときに用いる二人称が『おたく』なのである。即ち『君』や『おまえ』が通用しない非日常の空間に多く接するのであるから、おたくという人種は一般の人間以上に外向的であるのだ」という「おたく肯定論」が紹介されている。

 

 まとめると

・おたくという二人称は『ウルフガイ・シリーズ』(1971~1995年)や『超時空要塞マクロス』(1982~1983年)といったオタク的作品を通して全国のアニメ・SFファンに広まっていた

・君やおまえと異なり上下関係を含意しないおたくは、コミケなどであまり親しくない人間同士が対等なコミュニケーションを築いていく際の呼びかけとして好都合だった

・おたくという二人称を使うような人々を指す言葉として1983年に中森明夫が「おたく」を提案し、蔑称として定着した

といった感じだろうか。

 

 いよいよ本題だが、映画『セーラー服と機関銃』(1981年)で「おたく」という呼びかけは上に挙げた「あまり親しくない人間同士が対等なコミュニケーションを築いていく」意味で使われているのだろうか。

 

 映画の中で「おたく」という言葉は、星泉薬師丸ひろ子)から相手への呼びかけとして同級生三人組へ2回、舎弟のヤクザへ2回、敵対する浜口物産の連中へ1回、計5回使われている。

 この内同級生三人組は高校での泉の友達、というより校門にヤクザが押し掛けてきた際の「泉ガードして帰るべ」や「(泉は)他をあたらなくてもさ、3人確保してるわけだもん、恋人」というセリフから今でいうところの姫と囲いのような関係がうかがえる。

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柳沢慎吾が同級生役で出演。この映画の登場人物では演技も役柄も一番まともな方である。画像は2000年のDVDから)

 泉は彼らに対して「おたく」と同じニュアンスで「ユーたち」というジャニーさんのような呼びかけをしている場面もある。

 

 舎弟へおたくと呼びかけるシーンは中盤に1回、終盤に1回、いずれも泉が目高組四代目組長として彼らと打ち解けた後に出てくる。

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(最後の殴り込み中にのんきなやりとり。クルージングとはゲイのこと)

 これらの場面から、同級生にせよ舎弟たちにせよ親しい仲の相手に対して気軽な呼びかけとしておたくが用いられており、親しくない人間同士の呼びかけという説明は当てはまらないことがわかる。泉は反発している父の愛人マユミ(風祭ゆき)に対しては「あなた」と呼びかけており、おたくはむしろ親しい仲の相手に対してだけ使われているように見える。

 一方で舎弟たちにも友達のように接しようとする泉が、組長と舎弟という上下関係を超えた対等な仲間への呼びかけとしておたくを使っているとは言えるだろう。

 

 しかしおたくが親しい相手への呼びかけとしたら浜口物産への殴り込みで”クルージング”の政(大門政明)が殺された怒りから「死ねば、おたくら!」と叫んだことは矛盾しているように思える。

f:id:yudoufuksk:20170810034226p:plain(カ・イ・カ・ンの後オタクを罵倒する薬師丸ひろ子

 この「おたくら」は「あんたら」ぐらいのニュアンスだろうか。他の場面での「おたく」も「あんた」と同じようなフランクさであり、おたくという呼びかけの特徴は他人行儀な「あなた」などとは異なる気軽さにあるのかもしれない。

 

 『セーラー服と機関銃』における二人称「おたく」は現在のオタク論で語られるものとはニュアンスが異なり、上下関係を超越した(多くは親密な相手への)気軽な呼びかけであった。

 そして、中高生の間で大ヒットした『セーラー服と機関銃』が『マクロス』や『ウルフガイ』と同じように1983年以前におたくという二人称が日本各地で使われ出す原因になった可能性もあるかもしれない。

 

 ところで、引用させてもらったSorekika WWFといったサイト(同人サークル?)の記事は1998年、1997年に書かれたインターネットの遺物のようなものだが、少なくとも1983年の「おたく」誕生以前からおたくであったこれらのサイトの人々がオタクが市民権を得た2017年の今何を思っているのか、それが今度は聞いてみたくなってしまった。

 

 

「おかげサマー」考―広瀬と前田が出会うとき―

 もう12月、「冬が寒くって本当に良かった」とか言い出した輩を燃やして暖を取りたい季節になってきた。

 しかし人間とは過ぎ去った季節を懐かしむもの。ここは敢えて夏を懐かしむしかない。TUBEを聴くしかない。という訳で今年の夏に出たTUBEの30周年記念アルバム「Your TUBE+My TUBE」を今さら借りてきた。

Your TUBE + My TUBE

Your TUBE + My TUBE

 

 

 「Your TUBE」と「My TUBE」の二枚構成になっているこのアルバム、目玉は何といっても 15組のアーティストが書き下ろした新曲をTUBEが歌うYour TUBEだろう。玉置浩二奥田民生といった大御所の作品や、作詞TAKURO(GRAY)作曲松本(B'z)、作詞大黒摩季作曲織田哲郎の共作まであって実に豪華なラインナップになっている。

 では早速収録順に聴いてみよう。一曲目は作詞・作曲広瀬香美の「おかげサマー」で・・・・・・ん?

広瀬香美

そして流れ出したのは馬鹿に陽気なサックスを吹き鳴らすイントロ。一瞬己の目を(いや耳を)疑ったが、なんとあの冬の女王広瀬香美TUBEに曲を提供していたのだ。

 この「おかげサマー」曲の方はイントロから伺えるとおりハイテンションで唐突に高音を張り上げる香美イズム全開の作品になっているのだが、それに輪をかけて詞の方がすごいことになっている。

 全体を通して見ると陽気なサラリーマンが周囲の仲間に支えられながらがんばるという内容になっていて、30周年を迎えたTUBEに対する応援メッセージとしてそれはそれでいいのだが、注目していただきたいのはそのサラリーマンの”がんばり”っぷりなのである。

 まず一番のAメロ、主人公の男は大事な会議の日に遅刻しそうになるのだが

ヤな予感して飛び起きた アラーム悲鳴あげてた

ドッと家を飛び出した でも遅刻は決定だ ヤッベェー

 全くヤバさを感じられない。

優しいあの子にメールした 会議資料お願いします

オッケー すぐ返事が来た

今日のランチ高くつくっぜ ベイベー

  イラッ!ここのところ、文字にするとそれほどでもないですが、実際の歌い方を聴くと相当イラッとします。しかしこの”ダメ親父”感は二番に入ってさらなる進化をみせる。

上司にこっ酷くやられた 絶望的に落ちてた

ランチに行こうあの子から 甘い声で誘われた いいねー

やっぱ俺にホレてるでしょー 永遠は偶然の産物

アクシデントもチャンスに変えて 起死回生があるからやめられられない

 はい、ここまで読んだOLの皆さんは「ああ、職場にこういうおっさんいるよね・・・」と思ったのではないでしょうか。そう、この歌に出てくる”がんばる”サラリーマンは若手にウザがられそうなちょっと面倒くさい中年男性なのだ。バブル時代のイケイケ感が今でも通用してると思ってそうな、飲み会に参加するのは当然の義務だと思ってそうな、最近の新人は元気が足りないまずは挨拶からだオハヨウ声出してけとか思ってそうな、若い頃の文化を捨てられないまま時代の変化に取り残され、置いてけぼりにされたことにも気づかずに道化を演じている少し悲しいおっさんだ。

 そしてそれはTUBEに対する批判的な見方からのメタファーにもなっている。広瀬香美がそこまで計算してこの楽曲を作ったのならすごいと思うと同時に底意地の悪さを感じるが、恐らく彼女はこんな受け取られ方をするとは意識していなかったにちがいない。TUBEが歌うならこんな感じだろうというのを想像していつも通りに作ったのだろう。その広瀬の曲と詞を前田亘輝が歌ったとき、曲の明るさと前田の故意におっさんを強調するような歌い方、そして聴く側のTUBE・広瀬に対して抱くイメージ(バブリー、夏/冬の枠から飛躍できない色物)が作用しあって、滑稽なまでに陽気で一つずらせば皮肉になりかねない曲が生まれたのだと思う。

広瀬香美とバブルについてはこちらのブログが興味深い考察をされていた

バブル文化って何だったのか - arwtw

 一点の曇りもない秋の青空は不安を秘め、底抜けの明るさは哀愁を感じさせる。広瀬香美前田亘輝の出会いもまたかくあるものなのか。 

Your TUBE + My TUBE(初回生産限定盤B)(DVD付)

Your TUBE + My TUBE(初回生産限定盤B)(DVD付)

 

 (初回生産版。パッケージはお中元をイメージしたらしい)

 ちねみに僕は広瀬香美TUBEも好きだし「おかげサマー」も嫌いじゃないです。YourTUBEだとクレイジーケンバンド横山の「タイムトンネル」と玉置浩二の「スコール」が良かった。

二人の「ユリア…永遠に」

 北斗の拳の劇中でケンシロウは数多くの強敵(とも)と拳を交えた。最大の強敵は言うまでもなくなくラオウだが、僕が一番好きなのはケンシロウ最初の強敵シンだ。

 南斗孤鷲拳の使い手にして、殉星の男シン。ユリアへの報われぬ愛のために生きた彼の生き様は哀しく切ない。物語序盤で退場するキャラでありながらトキやレイに次ぐ人気を獲得した彼に対して、アニメのスタッフもKING軍の拡大、反乱軍相手の大立ち回り、侍女への気遣いなどのオリジナル展開を挟むことで優遇していた。

 そのアニメ第一期のエンディングテーマ、クリスタルキングの「ユリア…永遠に」(作詞、野中英俊・田中昌之)は恋人ユリアを想い荒野を往くケンシロウの心情を歌った曲だ。少なくともテレビサイズではそうとしか解釈できない。しかし、僕はこの曲はケンシロウと、そしてシン二人それぞれのユリアへの想いを表した曲だと思っている。他のサイトでも考察されているのでどこかで聞いたことがあるかもしれないが、ここにも書かせてもらおう。

 

 北斗の拳をこれから読む人にはネタバレになってしまうが、一応劇中での三人の関係を解説しておこう。(詳しく知りたければWikipediaなりに飛ぶべし)

 世界が核の炎に包まれる前ケンシロウとシンの二人は友人だった。シンは密かにユリアに恋心を抱いていたが、ユリアは親友ケンシロウの許婚、そのままならば叶うはずのない恋だった。だが、核戦争が勃発し世紀末の世が到来すると、弟ケンシロウに恨みを抱く兄ジャギはシンにむかって囁く「今は悪魔が微笑む時代だ」と。こうしてシンは暴徒を引き連れてユリアとともに旅立とうとしていたケンシロウを強襲し、ケンシロウの胸に七つの傷を付け、ユリアを強奪して去っていった。(このときユリアはシンの愛の告白に対して「あなたにそう思われていると知っただけで死にたくなります」とキツすぎる暴言を放つ。シンの想いはどこまでも報われない)シンは去り際倒れたケンシロウに向かって言い放つ「お前と俺の致命的な差、それは執念だ」と。

 その後シンはユリアにこの世のすべてを与えるために暴徒を組織して各地を略奪、自らKINGを名乗り関東一円を支配した。奴隷を働かせてユリアのためだけの都サザンクロスを作らせるが、それでもユリアの心は動くことはなかった。そんな矢先、復讐のために荒野をさまよっていたケンシロウがシンのもとにやってくる。一年前とは逆にケンシロウの前に歯が立たないシンの拳。シンの教えた執念がケンシロウを変えていた。ならばその執念の源を断つまでと、シンはユリアの胸に拳を突き入れる。しかし、それがケンシロウの逆鱗に触れ、執念を超えた怒りでケンシロウはついにシンの秘孔を突いた。

 闘いが終わり、倒れたユリアのもとに駆け寄るケンシロウ。しかしそこにあったのは愛するユリアではなく精巧に作られた人形だった。自分のために人々が苦しむのが耐えられないと、ユリアは自ら居城から身を投げたのだとシンは語る。そして彼もまた、ケンシロウの拳にかかって死ぬのを拒み、居城から燃え盛るサザンクロスに身を投げ自らの手で死を選んだ。愛するユリアの名を叫びながら。(実はこのときユリアは生きていた。ラオウの軍勢がサザンクロスに迫っていることを知ったシンはユリアを南斗五車星に預け、自らは敢えてユリア殺しの汚名を被ってケンシロウとの決戦に臨んでいた)

 すべてが終わって、シンの亡骸を葬るケンシロウは「どうしてそこまでしてやるのか」と聞かれてこう答えた。「同じ女を愛した男だから」

 

 と、ここまでの流れを頭に入れて「ユリア…永遠に」の歌詞を見てみると・・・

1.時間の中で生きてる 孤独な囁き

  手探りの中覚えた ぬくもりと淋しさ

  まぶしく輝く お前の身体抱き寄せ…今

  そうさ 愛する人には 時代(とき)は流れ

  徨う心に 明日は見えない

  エンディング(この数枚の止め絵を切り替えるだけの手抜きEDは初めて見たとき笑ってしまった)で流れた一番は、ユリアを求めて世紀末の荒野をさまようケンシロウの歌といって間違いない。ケンが荒野で行き倒れていたところから第一話がはじまるアニメ第一期にふさわしいエンディングテーマだ。

2.光の中で揺れてる お前の微笑み

  足音だけを残して 闇に消えるシルエット

  満たされはばたき 女神が背中向けて…今

  だから 今日より 明日より 愛が欲しい

  夢より愛する 君が欲しい 全てが……

  「満たされはばたき」というのは、すべてを得ながら宙に身を投げたユリアのことだろう。だから「女神が背中向け」るのだ。最初のパートは失ったユリアの面影を思い浮かべていることがわかる。「今日より明日より愛が欲しい」と叫ぶ姿は満たされぬ愛にすべてを捧げる彼の哀しい宿命を感じさせて悲痛だ。

 一番はユリアの姿を求めて荒野をさまようケンシロウの姿、二番は愛を得られぬままユリアを失い、ケンシロウがやってくるのを一人孤独に待つシンの姿を描いているのではないだろうか。

 ぜひそんな二人の姿を思い浮かべながら「ユリア…永遠に」を聴いてみていただきたい。これまでよりも一層切ないメロディが胸に沁みてくるだろう。

 

 

ユリア・・・永遠に

ユリア・・・永遠に

 

 

世界に一つだけのあらすじ

 ぷらっと入った本屋で何気なく本を選ぶとき、みなさんは何を基準に手に取る一冊を選ぶだろうか。お気に入りの作者の名前? きれいな装丁? 値段? どこに目を付けるかは人それぞれだが、こと文庫本の場合多くの人は棚から抜き出した一冊を手の上でひっくり返して裏表紙に目をやるのではないだろうか。

 文庫本の裏表紙、そうそこに書かれているのは”あらすじ”である。岩波文庫など一部を除いて大抵の文庫本の裏表紙には五~十数行の文章でその本のあらすじが紹介されている。時に”あらすじ”には内容だけでなく、受賞歴だったり著者の略歴だったり印象的なフレーズだったりが盛り込まれている。

 ”あらすじ”は本の中で唯一、作者ではなく出版社が書き込むことを許された文章であり、多くの読者予備軍がまず目にする文章。裏表紙は社運を賭けた売り上げ競争の最前線であり、わずか数行の文章によって競い合う熾烈なバトルフィールドなのだ!

 

一九五〇年七月二日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇・・・・・・。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。

 

 これは三島由紀夫金閣寺 (新潮文庫)の裏表紙に書かれた”あらすじ”である。

 月日を最初に持ってくることでニュース記事のように金閣寺焼失という実際の現実社会の事件との関連を提示し、続く文で犯人の学僧が主人公であることと、彼が障害を持って生まれ、生を呪い、金閣の美にとりつかれて放火に至るというストーリーの経緯をたどり、最後に作者が有名な三島由紀夫であることをアピールしつつ不朽の金字塔という殺し文句で名作認定する。

 実に模範的な”あらすじ”である。「ついには幻想と心中するにいたった悲劇・・・・・・」なんて言われたらそりゃどんな悲劇なのか気になるってものだ。しかもなんたってあの三島由紀夫の「不朽の金字塔」なんだから面白いに違いない。

 どうです? レジに並びたくなりませんか?

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真・・・・・・。

 

 これは誰の作品か、言わなくてもわかるでしょう。そう、村上春樹海辺のカフカ (上) (新潮文庫)です。この”あらすじ”を見せるだけで読んだことのない人にも村上春樹の作品だと伝わるような、見事な”あらすじ”だ。

 このように内容を説明するというよりも、本文の文体をマネることで作品の雰囲気を伝えることに徹している”あらすじ”もある。

 

 ぴゅんという音を引いて飛来した紙片が代官・黒田玄蕃の手に突き刺さる。

「ぐぬっ! 何奴!」

 紙片に輝く白黒の帯は、裏稼業の印・書籍JANコード

「この紙・・・・・・裏表師か!」

「ご明察だ黒田玄蕃! ISBNコード密造の罪は重いぞ! 神妙にしやがれ!」

「洒落臭い! 貴様の弱点はもう割れておるわ! 裏表師は裏表紙にしか出られないのだろう!」

「どこでそれを!」

「ねぇねぇ越後屋

「なんでしょうお代官様」

「なんでもない」

「そうですか」

「やめろ! 行を消費するな!」

 裏表師最大の危機。だがその瞬間、ぴゅんという音を引いて紙片が飛んだ。

「ぐぬっ! 何奴!」

「あたいは背表師」

「背表師だと!」

「しまったここは裏表紙うぐぐ」

 背表師は死んだ。

 屋敷の庭の鈴虫が悲しげに鳴いていた。

 

 続いては裏表紙に咲いた変わり種、独創短編シリーズ 野崎まど劇場 (電撃文庫)より「裏表師~文庫裏稼業世直し帳~」です。裏表紙には”あらすじ”という常識を逆手にとった手法。というかこの本全編こんな感じ。

 ちなみに折り返し部分のあらすじには「この本を許せた時、君はひとつ大人になる――」というメッセージが書かれている。

 

張飛は死なず。呉への報復戦を劉備自ら率いる蜀軍は、関羽を弔う白亜の喪章、張飛の牙旗を掲げ、破竹の勢いで秭帰を制した。勢いに乗る蜀軍に対し、孫権より軍権を委ねられた陸遜は、自軍の反対を押し切り、夷陵にて計略の秋を待つ。一方、自らの生きるべき道を模索し、蜀を離れゆく馬超。呉の臣従に対し、不信感を募らせる魏帝・曹丕。そして孔明は、呉蜀の決戦の果てに、遺された志を継ぐ。北方<三国志>衝撃の第十一巻。

 

 これは北方謙三三国志〈11の巻〉鬼宿の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)のもの。僕の好きな”あらすじ”の一つだ。といっても呉への報復戦だの陸遜だの孔明だのはどうでもよい。「張飛は死なず」北方御大のハードボイルド感を伝えるには冒頭のこの一文だけで十分だ。さすがにこの一文だけじゃあらすじにならないけど。

 

 さて、色んな”あらすじ”を取り上げてきたけれど、中にはこれはどうなの? というものもある。一番大きいのがネタバレだ。”あらすじ”はあくまで導入であって、もっとも肝心な部分は読者が本文を読んではじめて分かるようになっていなければならない。

 そこで最後に今まで遭遇した中で一番酷いネタバレ”あらすじ”を紹介しよう。ネタバレといってもホラーやミステリー小説ではない。19世紀を代表する大作家バルザックの『ゴリオ爺さん』だ。

 

奢侈と虚栄、情欲とエゴイズムが錯綜するパリ社交界に暮す愛娘二人に全財産を注ぎ込んで、貧乏下宿の屋根裏部屋で窮死するゴリオ爺さん。その孤独な死を看取ったラスティニャックは、出世欲に駆られて、社交界に足を踏み入れたばかりの青年だった。破滅に向う激情を克明に追った本書は、作家の野心とエネルギーが頂点に達した時期に成り、小説群《人間喜劇》の要となる作品である。

 

 『ゴリオ爺さん』を読んだことのない人は、これのどこが問題なんだと思うかもしれない。

 僕はこの”あらすじ”を読んで本を買ったとき、『ゴリオ爺さん』という作品は青年ラスティニャックがゴリオ爺さんの死に追いやった社交界とどう交わっていくかを描いた作品なのかな、と思った。おそらく多くの人が同じような予想をすると思う。

 ところがこのゴリオ、読んでも読んでも死なないのである。300ページを過ぎてもまだぴんぴんしている。ゴリオが元気なうちに、下宿に脱獄囚が紛れ込んでいたり娘が旦那に捨てられたりと次々と事件が起きていく。結局、ゴリオ爺さんが死ぬまでに全508ページの中の500ページが消費され、物語は娘二人に代わってゴリオ爺さんの埋葬を済ませたラスティニャックが、墓地がある丘の上からパリを見下ろしながら社交界との戦いを決意するところで終わってしまう。

 『ゴリオ爺さん』は爺さんが死んでからの話なのではなく、爺さんが死ぬまでの話だったのだ。ところが”あらすじ”の二行目で早くも爺さんが死んでいるので僕は爺さんが死んでから話が展開するのだと勘違いしてしまった。

 小説の中にはストーリーがわかっていても問題でない作品もある。先程の『金閣寺』でいうなら、美の象徴である金閣に主人公がどういう心情を抱き、それが変化していったのかという点こそが重要なので、最終的に主人公が金閣に放火するという結末を知っていても問題ない。だからこそ『金閣寺』の”あらすじ”はその結末を”ネタバレ”している。

 確かに『ゴリオ爺さん』の本質もパリ社会の格差を描いたことであって、単純にストーリーだけでは読み解けない。しかし同時に『ゴリオ爺さん』はエンタメ小説でもある。下宿の面々それぞれの滑稽な生活が描かれたり、謎の男ヴォートランがラスティニャックをアウトローの世界に誘惑したりと、読者を楽しませて先へ先へと読ませる仕掛けがされている。

 この”あらすじ”は『ゴリオ爺さん』の持つエンタメ性を軽視して、格差というテーマばかりを宣伝しようとしたために生まれてしまったのだろう。

 

 去年、本屋でこの新潮文庫の『ゴリオ爺さん』が平積みになっているのを見かけた。聞けばトマ・ピケティだかピケ・トマティだかが『ゴリオ爺さん』を格差社会の象徴として取り上げたおかげだという。検索してみたら読書メーターのコメントにも「ピケティさんの指摘する格差社会が訪れてしまわないよう私たちの意識を変える必要がありますね」なんて投稿ばかり上がっていた。この状況だったらあの”あらすじ”も逆に効果的かもしれないなと苦笑いしたことを思い出す。

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

 

 

 

甲子園と応援歌と

 テレビを付けた瞬間7-0という点差が目に入ってこれは負けたな、と思った。仙台育英強かった。早実の選手もお疲れ様です。

 我が家の両親は早稲田OBのため今年の甲子園は缶ビールを片手にテレビに向かって「早稲田!早稲田!早稲田!オー慶応倒せ~!!」などと叫んでいる。(相手が今治西だろうが東海大甲府だろうが仙台育英だろうが「慶応倒せ」になっている)

 そして勝てばその夜は同じく早稲田OBの叔父二人を呼んで祝勝会と称して酒を飲み、「紺碧の空」の大合唱である。野球を口実にただ騒ぎたいだけなのは見え見えだが、卒業三十年たってもまだ応援歌が口をついて出るとはげに体育会の恐ろしさよ。

 

 早稲田や慶應は歴史が長い分特にその傾向が強いのだろうが、大学の校歌や応援歌は中学や高校のそれと比べて愛着を持たれている気がする。小中高の場合は年に数回の式の最初に流されて歌うだけなのに対して、大学では対外試合の応援や同窓会で流れるから、学生に身近なイメージがあるのだろうか。あと飲み会。伝統ある部やサークルだとOBが多いだろうし。

 校歌、学生歌それ自体が有名になっている例も多い。「都の西北」だったり「若き血」だったり「都ぞ弥生」だったりはカラオケにも入っているしね。

 

 と、ここまで書いて、うちの大学の校歌なんて聞いた覚えがないことに気付いてしまった。調べたところ、どうやら旧帝大に限っては戦前まで校歌がない大学のほうが多かったようだ。帝国大学官吏の養成機関という位置付けだったため校歌は不要という考えがあり、その後新制大学になっても、旧制高等学校から受け継がれてきた寮歌や学生歌がすでにあるため新しく校歌を作る必要を感じないまま今に至る・・・というケースが多いようだ。

寮歌 - Wikipedia

 Wikipedia大先生によると

一高(戦後東大)の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/aagyokuhai.html

三高(戦後京大)の逍遥歌「紅もゆる丘の花」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kurenai.html

北大予科の寮歌「都ぞ弥生」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/miyakozo.html

が三大寮歌とされているらしい。逍遥歌ということは昔の高校生は散歩しながら「都-の花にー嘯けばー 月ーこそかかーれ吉田山」と口ずさんだということなのか・・・。バンカラだなあ。

 阪大で一番有名なのは「嗚呼黎明は近づけり」のようだ

http://www.eonet.ne.jp/~ougc117/others/Zenryouka.html

 

大先生によれば左翼運動歌の「嗚呼革命」の歌詞をパクっ・・・借用したものらしいが「嗚呼黎明は近づけり 起てよ我が友自由の子」って、現代の大学生だったら徹夜で宅飲みしてたらいつの間にか朝になっちゃった、って解釈にしかならない気がする。

 そして調べているうちに気付いたのだが、この歌を含めて昔の寮歌の多くが創価学会の学会歌に採用されている。

 国歌も校歌も一つの歌を集団内で共有して仲間意識を高める役割があるのだから、宗教団体が自分たちの歌を持とうとするのは分かるのだが、何故それを寮歌から取ってきているのだろうか。謎だ。そういう研究をした新書があったら読んでみたい。