とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

幸田露伴『運命・幽情記』

 西遊記を読んだのは小学三年生頃、岩波少年文庫で上中下巻、当時の私には最も長大な本だった。小学生の読んだ印象としては、斉天大聖とか天蓬元帥猪悟能八戒とか、文中に屹立する漢字のトーテムポールが異様にかっこよかった。のちに北斗神拳や法律用語に対したときに似た、情報が呪文に変身する時の邪悪さだ。また一跳び十万八千里だの七十二通変化だの重さ一万三千五百斤だの数字の列も素晴らしい。多羅尾伴内の十倍以上だから一つずつ数え上げることはできず、「できない」ことを表すためにわざわざ具体値を出す倒錯的な感じ。
黒田硫黄西遊記とわたし。」『大王』p251)

 

 ここで黒田硫黄が語る「漢字のトーテムポール」を幸田露伴の『運命』のあちらこちらでも発見することができる。なにせ主人公建文帝の祖父、明の初代皇帝朱元璋諡号からして「開天行道肇紀立極大聖至仁文義武俊徳成功高皇帝」の国である。さすがにそのままでは読めないので文芸文庫本も青空文庫もルビが振ってあるが、その字面もまたあらゆる漢字の頭にひらがながくっついていて読みにくい。とにかく一目で読みにくく頭が混乱する話だった。ストーリーは建文帝と永楽帝、二人の皇帝の覇権争いと、勝者と敗者それぞれの行く末を追う話でわかりやすい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/1452_16991.html

 

西遊記』はフィクションだが、『運命』は「明史」や「明史紀事本末」に取材した史伝であって、作者自身小説ではなく史であるとしている。とはいえ、出てくるエピソードがあまり現実離れしているのでそのスケールの大きさに驚くというより呆れてしまう。例えば永楽帝のクーデターを非難した役人の一人が殺される場面。俗に三族皆殺しというがほんとに一族全員殺す徹底ぶり、殺される側も舌を抜かれりゃ血文字で罵ってくる過激さ、壮烈なダイイング・メッセージ

 

右副都御史練子寧、縛されて闕に至る。語不遜なり、帝大に怒って、命じて其舌を断らしめ、曰く、吾周公の成王を輔くるに俲〔にんべんに效〕はんと欲するのみと。子寧手をもて舌血を探り、地上に成王安在の四字を大書す。帝益怒りて之を磔殺し、宗族棄市せらるゝ者一百五十一人なり。
幸田露伴『運命・幽情記』p77)

 

 講談社文芸文庫に併録されている『幽情記』にも、山の上に五年間放置されてひたすら本を読んで成長した文人のエピソードが紹介されている。サイヤ人編で悟飯に生きる力をつけさせるために半年間荒野に置き去りにしたピッコロを超えるスパルタ教育だ。

 

 元末明初の才人に、楊維禎といへるものあり。字は廉夫、鉄崖道人と号す。山陰の人なり。母月中の金銭懐に入ると夢みて而して生る。少くして聡明なりければ、父宏これを噐として、楼を鉄崖山の中に築き、楼を繞りて梅を植ゑ、数万巻の書を聚め置き、其の梯を去りて楼上に誦読せしむること五年なりしといふ。こゝに於て維禎学成り識立ち、元の泰定四年をもて進士となりしが、狷直にして者に忤ふを以て、大に志を得るに至らず。
(同上,p178)

 

『運命』は「世おのづから数といふもの有りや」という書き出しから始まる。数とは定数、すなわち運命のことで、この書き出しは司馬遷史記』の「天道是か非か」を意識したものだろう。幸田露伴は、あるいは『史記』にはじまる中国の歴史書は、「運命」のような人智を超えたものの象徴として史上の人物を造型する。実在した人物も単純化、象徴化された存在として語られる。そこがリアルな人間を描こうとする小説に慣れた目に読みにくく感じる一方で、細部を誇張されたエピソード、常軌を逸したキャラクターが出てきがちで面白い。

 

銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』の田中芳樹が『運命』を翻案、ジュブナイルにしたものも出版されているらしいので、漢字のトーテムポールを好まない人はそちらを読んでもいいかもしれない。田中芳樹は大学院で露伴の歴史文学を研究していたというが、漢字の呪文を漂白して残る露伴や中国史書のキャラクター造型はライトノベルと相性がいいだろうなと『運命』を読んで思った。