とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

江戸っ子VS文明開化 ほろ苦風味(山田風太郎『警視庁草紙』感想)

 山田風太郎の連作長編『警視庁草紙』を読んだ。忍法帖シリーズの後に書かれた「明治もの」の第一作。山田風太郎作品のいろいろな魅力が多面的に詰まっていてとても面白かった。

 

 忍法帖が能力者同士による多対多のチームバトルというフォーマットを開発したように、明治ものも後の小説やマンガに繰り返し採用される方式を広めたといわれる。それが「史実を変えないかぎり歴史上の有名人をバンバン登場させてOK」という約束で、『警視庁草紙』でもたくさんの著名人や古今の名作がクロスオーバーして登場する。るろ剣と同時代なので斎藤一や御庭番衆(作中唯一の特殊能力持ちで盲目の異常聴覚者)も登場するぞ。

 

 例えば第一話「明治牡丹灯籠」は東京を離れて薩摩へ向かう西郷隆盛を大警視の川路利良らが見送る場面からはじまり、その後起こる密室殺人事件の容疑者として三遊亭円朝が登場する。円朝を救うために奔走する主人公たちに推理のヒントをくれるのは『半七捕物帖』の半七親分だ。最後警官たちの前で円朝がかけた新作落語の題が「怪談牡丹灯籠」。この事件をネタに円朝が牡丹灯籠の最初の一篇を創作したというオチになっている。

 

 怪談をミステリーとして合理的に解釈したあとで、再び怪談に戻す。第一話から鮮やかな手際で「小説がうめ~!」と感動してしまう。一つのシリーズの中で推理・怪談・エロ・ファンタジー・寓話・アクションとジャンルを超えたストーリーを見せてくれるのが風太郎伝奇小説のいいところだなあと思う。森鴎外舞姫』の文章をパロディしてみたり、「仕掛人」が登場した後に登場人物が池波正太郎に謝ってみたりとメタ的なおふざけも欠かさない。

 

 上巻の「幻談大名小路」では明治五年の娼妓解放令でさびれはてた内藤新宿遊郭跡で八歳の夏目漱石と三歳の樋口一葉が言葉を交わす場面があり、嘘のようなこの話が実は当時の実話に基づいているということに解説者がみな触れているが、史実に基づいているかどうかよりもここでこいつが出てくるのかという意外さとオチにつながる必然性があるので驚き&納得する。ここで漱石が目撃した内藤新宿の光景が『道草』の描写につながるんだというこじつけが見事。

 

 物語のラストで主人公の元同心・千羽兵四郎は「高みの見物」をやめて警視庁抜刀隊に加わり、西南戦争に出陣していく。これは生きる目的を見付けた主人公視点に立つとハッピーエンドだが、明治国家のやり方は破滅に向かうだろうという作中の史観でみるとバッドエンドになっていてほろ苦い。歴史に敗れた人々に寄り添いながらも、大きな時代の流れに個人は逆らえず流されていくという終わり方には、忍法帖と同じ明るい虚しさが漂っている。

 

佐川官兵衛に限ったことではないが、人間一代のうちに花を咲かせる時がある。わしらのように、とうとうそれのないやつも多いが、たとえこの世を変えるほどの活躍をした者でも、その時が終ればただの人間に戻る。その人間のいわゆる歴史的運命というやつは終ったのじゃが、あと、生きているかぎりは人間生きていなければならぬのは同情に耐えんことであるな」

 

 兵四郎とともに警視庁にちょっかいをかける元江戸南町奉行の駒井相模守は何度か「生きていなければならぬ哀しみ」を口にする。

 

 去年三島由紀夫没後50年の記念番組で平野啓一郎が三島を動かしていたのは「戦争で生き残ってしまった」罪悪感だと盛んに語っていたけれど、山田風太郎の「生きていなければならぬ哀しみ」にもまた三島に通じるものを感じる。あまり作家の世代論とかは好きではないのだけれど、同じ戦中派として三島由紀夫山田風太郎の比較をした人はいないのかな。『金閣寺』の母乳で茶を点てるところとか、風太郎読者は好きそうだけど(私は好き)。