とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

あらゆる社会矛盾はバトル漫画に通ず(『かんかん橋をわたって』))

 草野誼『かんかん橋をわたって』という壮大な嫁姑・サーガを読んだので、それについて話します。


『かんかん橋をわたって』の舞台となる桃坂町は、川東・川南・山背という三つの地区で成り立っています。主人公の萌は、川南から町をつなぐ「かんかん橋」を渡って川東の渋沢家へ嫁いできました。美人で、聡明で、こまやかな義母の不二子に萌は憧れていましたが、ある日萌は不二子が「川東一のおこんじょう(意地悪)」と呼ばれる存在であることを知ってしまいます。萌が不二子の正体に気付いてしまったその日から、不二子の終わりのない「おこんじょう」に耐える萌の地獄のような日々が始まりました……。


 ここまでが第一話の大筋ですが、物語はここから想像のつかない方向に二転三転しながらどんどんとスケールを広げていきます。そこでは強者と強者が邂逅するランキングバトルがあり、師から弟子へと伝授される継承の物語があり、訪問者を拒むダンジョンの探索があり、世代を超えた団結があり、失われた正義を取り戻す革命、そして大団円があります。嫁姑争いの漫画を読んでいたはずが、いつの間にか友情・努力・勝利の三拍子そろった熱い少年漫画的世界に迷い込んでしまう唯一無二の体験です。『かんかん橋をわたって』を読むと、嫁姑争いも争いである以上、当然バトル漫画になり得るのだと納得させられてしまいます。むしろ今までなぜ誰もやってこなかったのか不思議になるほどです。


 物語の転機になるのは、第三話で謎の主婦が萌の前に現れ「あなた 今 四位よ」と告げる場面でしょう。川東に伝わる「嫁姑番付」(正確には「嫁いびり番付」)という狂ったランキングの存在が明らかにされ、嫁姑争いのバトルフィールドが渋沢家を超えて地域全体に広がった瞬間です。『エアマスター』の深道ランキングもそうですが、謎の存在が現れて唐突に順位を教えてくれる瞬間はワクワクしますね。「川東一のおこんじょう」を姑に持つ萌は嫁姑番付四位です。他の嫁姑ランカーには、空き地を畑と言い張って町内会の行事を妨害する通称「山背のまむし」や、気分が不安定になると鉄塔に這い登って嫁の服をくくり付けてしまう姑、トンカチで薪をかち割り壁に巨大な穴を開けるパワータイプの嫁などの面々がいます。


 この嫁姑番付の登場と、ランカーたちとの出会いを経た萌の覚醒以降の熱い展開が語られがちな『かんかん橋をわたって』ですが、読み返すとそれ以前の第一話・第二話からすでにおこんじょうバトルの基本が描かれていたことがわかります。おこんじょうバトルの基本とはすなわち、相手の裏をかく頭脳戦です。


 第一話でまだ不二子の正体を知る前の萌が、初めて違和感を覚えたのは「水加減をどれだけ丁寧にしてもバサバサのご飯が炊けてしまう」ことでした。同じ炊飯器で不二子が炊くと、いつもふっくらと仕上がるのだから不思議です。他に、「不二子は夜中の乾燥対策のために濡れタオルを廊下にかけている」「不二子がご飯を盛るときは必ず萌の茶碗でしゃもじをこそいでいる」という情報が示されます。ご飯の炊け具合としゃもじの件から、萌が不二子にいじめを受けているということは推測できますが、では濡れタオルにはどんな意味が込められているのでしょうか。次に、萌が川南の母を思って庭に干していた柚餅子を不二子が取り込んでしまった場面が描かれます。濡れタオルのすぐそばに吊るされた柚餅子は、完成を待たずにカビてしまいました。ここで、濡れタオルをかけていたのはこの時のためか! と思わせておいて、実はそれはミスリード。最後に萌が目撃したのは、深夜起き出してタオルを炊飯器に浸し水を吸わせている不二子の姿でした。萌のご飯が毎日バサバサに炊きあがるのは、不二子のおこんじょうのせいだったことが明らかになるのです。濡れタオル一つに二重三重の意味を持たせ、そこに込められた真の意図に中々到達できないようにする、これが川東一のおこんじょうのやり方……!


 終盤の「「姑」という字を私は好きよ 決して「古い女」なんて意味じゃない 嫁に背負わされた「家」という重荷を 「古のものよ」とあざ笑い解き放たれたのが姑なのよ」という言葉に象徴されるように、不二子は物事の意味を捻じ曲げ、別の意味を重ね、新たな意味を創出することに長けています。


 常に不二子の言葉や行動の裏に隠された意味を推理しながら読み進めていく、謎解きの要素がこの漫画の緊張感を高めているのです。そして、萌が初めて不二子の意図を見抜き互角のおこんじょうを繰り出したとき、不二子はとびきりの笑顔で笑いました。萌の策略で虫喰いだらけになった着物を着て。その笑顔の裏には、ついに自分と同じレベルまでのぼりつめた嫁の成長への喜びがあるのですよ。『SLAM DUNK』なら「このとき不二子は萌が自分の地位まで昇ってきたことを確信した。」とナレーションが入るような名シーンです。


 嫁姑争いを大きなスケールで捉えると、異なる価値観で動く社会を背負った個人の対立ということができると思います。家族という一つの価値観をすでに共有する集団に、別の価値観を背負った人間が新たに加わることによる摩擦が嫁VS姑というかたちで顕現する。姑が代表するのは旧い伝統や格式であったり、その地域に根差した習慣であったりします。一方嫁は新しい世代の考え方や、別の地域の習慣を家族に持ち込みます。一見単なる家庭内の対立に見える嫁姑争いの背後には、社会的な対立の構図が隠れているのです。


『かんかん橋をわたって』は「嫁姑番付」という画期的な装置を導入することによって、嫁姑の闘争を家庭内の問題から、共同体全体の問題へと拡大してとらえることに成功しました。社会の矛盾は個人の対立につながり、個人と個人の闘争から葛藤やドラマが生まれる。そしてすべてはバトル漫画に収束する。この世のあらゆる社会矛盾はバトル漫画に通じているということを『かんかん橋をわたって』は教えてくれます。



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