とろろ豆腐百珍

読んだ本の感想などを書きます

私はヤンキーになりたかった(知念渉『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』)

 自分の話から始める。

 中学校三年生のときに学級が崩壊した。

 毎週どこかのガラスが割られていたし、毎日火災報知器が鳴らされていた。校庭に吸殻、教室に空き瓶、トイレに避妊具。誰かが首を締められてオトされている光景が日常茶飯事だった。

 別に一部の不良生徒ばかりが荒れていた訳ではなく、私のような根暗な生徒たちも授業時間にPSP(モンスターハンターポータブル 2nd G」や「メタルギアソリッド ポータブルオプス」!)をしたりカードゲーム(これはもちろん「遊戯王」だ)をしていた。

 中学生の私たちにとっては学校に逆らったものこそが英雄であり、腕力と度胸のあるものは暴力で、それを持たないものはより消極的な手段で、授業を妨害することに腐心していた。中でも一番「ヤンチャしてる」生徒はそもそも教室には来ず、顔を見せたとしても教師やクラスメイトを”シメる”だけなのだが、そうした暴力的なふるまいは非力な私にとってひそかな憧れの対象でもあった。憧れによって、男らしさを至上価値に掲げるヒエラルキーの中に自分を位置付け、順応していかざるを得なかったのだと思う。

 高校は公立の進学校に進んだ。

 中学校で身に付けた「ヤンチャ」至上の価値観は進学校の価値観とぶつかり、軋みを立てていった。

 一学期の夏前、英語の授業中に小さな事件が起きた。小テストの解説中に、ある生徒が私語を注意されたことをきっかけに、その注意を聞く姿勢がまた悪かったと説教が始まった。注意を受けた生徒も私語をしていたつもりはなかったようで、軽い言い争いのようになった。

 言い争いは五分間続いた。私はその間、他のクラスメイトの顔をじっと見ていた。

 皆一様に不審の目を、注意を受けている生徒に向けていた。こんな時私のいた中学ならば、誰かが注意されている生徒に加勢したり、あえて別のところで私語を立てたりして、騒ぎを大きくしようとするものだったが、誰もそんな様子は見せなかった。つまらないことを言い立てて時間を使うことに対する苛立ちだけが感じられた。授業が再開された後も、重い静けさが教室を支配していた。注意を受けた生徒は机に突っ伏してふて腐れてしまった。

 ここでは教師に反抗した彼の英雄的行為は讃えられず、五分間も授業を遅滞させたことを責められねばならないのだと、私は知った。慣れ親しんできた価値観が否定された瞬間だった。

 その後の私は旧い「ヤンチャ」至上の価値観を捨て去り、進学校的価値観に馴染もうと努力してきた。受験競争に加わり、国立大学に入学し、高校よりもさらに根深くキャンパスに浸透した学歴・就活至上主義を受け入れ、無難に就職を決めた。その転向は中学生の時と同じく、周囲を支配する価値観に容易に順応しようとする私の小狡さの表れなのかもしれない。けれど、ひとたび中学時代に「ヤンチャな子ら」に求めて得られない憧れを持ってしまったために、常に心の底では優等生の価値観や文化に違和感を持ち続けざるを得なかった。

 地元に帰れば大人になったかつての同級生はいまも「ヤンチャ」を誇っているが、もはや私はそこに入っていくことはできない。かといって優等生たちの出自と教養によるマウントの取り合いにももう付いて行けない。

 

 知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』を読んで、そんな故郷喪失者に似た寂寞に立ち帰らされた。

 著者が大学院生時代からフィールドワークに通った高校は大阪の貧困地区にあり、私が卒業した神奈川のニュータウンにある中学とは異なる部分も多くあるだろうが、描かれている<ヤンチャな子ら>のリアルや、教師や<インキャラ>との関わりの中で営まれる学校生活には、強く納得できる。

 調査対象となった<ヤンチャな子ら>は2009年に高校一年生なので、私にとっては二学年上にあたる。それだけに、外野からイメージで語られることの多かった今までのヤンキー論とは異なる、ほぼ同年代の学生生活がリアルに感じられた。

 

知念:インキャラってさ、何? 結局。インキャラってよく言う?

坂田:言うけど、言うたらおとなしい子、みたいな。(略)

知念:インキャラって例えば誰がいる?

坂田:とくに誰ってわからんな。言うたらおとなしそうな子、みたいな。見た目。(インタビュー、二〇一〇年七月十四日)*1

 

知念:コウジ(非行経験)なんかある?

コウジ:なんもない。おれは<インキャラ>やったから。

中村:ド<インキャラ>やで。(略)

コウジ:ほんまやで。なんもしてへんとか、友達のなかで万引きとかはあったけど、あれとってきてこれとってきてみたいなのはあったけど。べつにおれら何もやろうと思ってないからな、べつに。バイク盗んだことくらいちゃう。(インタビュー、二〇一〇年九月二十六日)*2

 

 例えば、80年代のツッパリや90年代のヤンキーとは異なって、<ヤンチャな子ら>は族やチームといった固定的な集団を作るわけではない。<ヤンチャな子ら>のグループの境界は曖昧で流動的だが、他の生徒や自分たちの言動や実践に<インキャラ>という解釈枠組みを適用することで、グループの内と外を区別し、境界を再構築しているという*3

 PSP遊戯王で遊んでいた中学時代の私などはまさに典型的な「インキャラ」だろう。「インキャラ」だった私自身の記憶を振り返っても、「ヤンチャな」グループの境界は曖昧であり、さらにいえば「ヤンチャな子」と「インキャラ」の境が無くなることもあった。不良がオタクに混じってモンハンや遊戯王をすることもあったし、おとなしいと思われていた子が暴行事件の主犯になることもあった。

 

 十年近くの追跡調査を通して、今まで「ヤンキー」として一くくりに語られてきた<ヤンチャな子ら>の間にも社会経済的事情を背景に亀裂が存在することを明らかにしているのが、この本の一番の功績である。

 

最初、ハローワーク行って、なんやしてるときに、地元のツレのオカンがえらいさんで、たまたま「入れてあげる」って言って。で、社長と専務だけで面接して。合格っていうのは決まってて面接して入ったって感じ。(インタビュー、二〇一四年六月二十九日)*4

 

知念:それどういう紹介だったの、先輩から?

ダイ:知り合いの知り合い。で、何で知り合ったか知らんけど、忘れたけど、(その人)から教えてもらってん。やれへんみたいな。

知念:地元が一緒とかじゃなくて?

ダイ:違う違う、飲み屋で知り合ったんかな、なんか忘れたけど。

知念:へー、どこの人?

ダイ:どこ? いや、大阪の人やけど。あんまプライベート知らんその人は。(インタビュー、二〇一四年九月二十三日)*5

 

 家族や地元のコミュニティとのつながりのある<ヤンチャな子>は「幼なじみ」や「地元のツレのオカン」の紹介で安定した職に就くことができる一方で、地縁も安定した家庭も持たない<ヤンチャな子>は「なんで仲良くなったか知らん」先輩や「ちょっと飲んでた」居酒屋の店員との即興的な関係をたよりに不安定な生活を転々としていく*6

 そうだ、結局は文化資本を親から受け継いだ人間ばかりが優等生になっていくのと同じように、地縁を親から譲り受けた「ヤンチャな子」ばかりが「大人」になっていく。

 地元志向のマイルドヤンキー、などというマーケッターの言説に惑わされるな。

 根無し草の大衆に愛を注げ。村に火をつけ白痴になれ。道なき道を踏みにじり行け迷わず行けよ行けばわかるさ。燃える闘魂もそう言っていた。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。魯迅先生もそう言っていた。

 

私にとって「ヤンキー」とは、とても身近だったのに、大学進学を機に突然「絶対に同一化できない/してはいけない他者」になってしまった存在なのだと思う。こういった言い方が許されるなら、「ありえた(が、もう選びえない)もう一つの生き方」と言ってもいいかもしれない。本書のもとになった調査をするようになってから、いろいろな機会(大学の採用面接でも!)に、「知念さんはヤンキーだったんですか?」と問われるのだが、その問いに私が肯定も否定もできずに言いよどんでしまうのは、ヤンキーに対してそうしたアンビバレンツな感情をもっているからだ。*7

 

 著者は、ヤンキーについて論じているはずが、いつのまにか「自分語り」にスライドして、ヤンキーと呼ばれる人々のリアリティを捉え損ねた、巷のヤンキー論を批判する*8

 自分語りから始めたこの文章もまた、ありふれたヤンキー論に他ならない。また私は著者と異なり、ヤンキーという生き方を選びえたような人間ではないことも自覚している。それでも、わずかに似通ったアンビバレンツを持つものとして、発言せずにはいられなかった。せめてそれによって、寂寞のただ中を突進する勇者に、安んじて先頭をかけられるよう、慰めのひとつも献じたい*9

 

 

*1:知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』青弓社,2018年,p123

*2:前掲,p124

*3:前掲,2018年,p130

*4:前掲,p187

*5:前掲,p194

*6:前掲,p204,214

*7:「あとがき」前掲,p269

*8:前掲,p239

*9:魯迅作・竹内好訳「自序」『阿Q正伝・狂人日記岩波書店,1955年,p13