とろろ豆腐百珍

親知らずの炊いたん食べたいね

映画『勝手にふるえてろ』とパンクブーブーの死

 昨年綿矢りさ原作『勝手にふるえてろ』映画化の報に接したとき、キャストを確認して軽く失望した。

 なぜパンクブーブーがいないのか。

 "ニ"がパンクブーブーではないのだ。黒猫チェルシーのボーカルなのだ。

 自分は原作小説を読んだときから"ニ"を実写化するならパンクブーブーのツッコミしかいないと思っていたのである。勘違いした暑苦しさと、状況に流されないツッコミ力と、コンソメの口臭と……これらを兼ね備えていそうな存在としてパンクブーブーのツッコミ以上の適役はいないではないか。

 "ニ"は主人公のOLヨシカに初めて出来た現実の彼氏であり、ヨシカの10年来の脳内妄想彼氏"イチ"の恋敵である。『勝手にふるえてろ』の物語は俗にいう"こじらせ女子"ヨシカが妄想彼氏"イチ"と現実彼氏"ニ"のどちらを選ぶのかを軸に展開し、"ニ"は夢見がちなオタク女子ヨシカの暴走する妄想に振り回されながらも少しずつヨシカとの距離を縮めていく。自意識過剰のあまりコミュニケーションを恐れるヨシカの被害妄想に"ニ"があきらめずに的確なツッコミを入れていくのが読みどころの一つであり、コミュニケーションのあり方という『勝手にふるえてろ』のテーマの根幹に迫るものである。

 ここには軽快なテンポを緩めないツッコミが可能な役者を配してほしかったのに黒猫チェルシーのボーカル(渡辺大知)……イエモンのトリビュートアルバムでやたらねっとりと「パール」を歌い上げていた印象しかない。

 ついでに言うと主人公ヨシカ役も松岡茉優ではなくコントドラマ『SICKS』で腐女子役を熱演していた千眼美子さんこと清水富美加さんあたりの方がウケるのではとも思った。

 要するに渡辺大知にせよ松岡茉優にせよ、原作小説『勝手にふるえてろ』のポップさを表すには真面目な役者すぎるのではと自分は思ったのだ。とはいえ実際にパンクブーブーのツッコミにまともな演技ができるとも思えないし、詰まるところ『勝手にふるえてろ』の実写化自体に無理があるのでは……?

 

 ここまで書きつつ映画自体は公開のタイミングで見逃してしまい、SNS上で好評を博しているのを眺めているだけだったのだが、最近早稲田松竹で再上映されたので今更ながら観てきた。

  エグ面白。そして怖い。くすりと笑った口もとが曖昧な角度で引きつるような。

 原作から7年の時を経て映画化された『勝手にふるえてろ』が示すのは、オタク女子の敗北であり、失われたパンクブーブー性であり、現代OLが抱える生きづらさの絶望である。

 原作と映画の違いは冒頭のシーンに象徴されている。

 とどきますか、とどきません。光りかがやく手に入らないものばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。

勝手にふるえてろ』(文春文庫、p7)

 原作『勝手にふるえてろ』は綿矢りさの真骨頂ともいえるこのリズミカルかつシニカルな文章から書き出される。届かないものへの羨望とすでに手に入れたものへの無感動を語る主人公ヨシカはこの冒頭の文章で読者に宣言する

 でも私はイチがよかった。ニなんていらない、イチが欲しかった。

勝手にふるえてろ』(文春文庫、p9)

 原作『勝手にふるえてろ』において現実ではなく届かない妄想を追い求めるヨシカの暴走は自ら選び取られたものだった。

 

 一方、映画『勝手にふるえてろ』の冒頭は、出社前のカフェの店内で地下アイドル風金髪美人ウェイトレスの髪を愛撫しながらヨシカが"イチ"への想いを言い聞かせている場面から始まる。ヨシカはカフェの店員、公園で釣りをしているおじさん、変な髪型のコンビニ店員、車掌、バスで隣に座るおばさんに自分の想いを語りながら会社に向かう。

 この後も映画前半で繰り返される光景だが、実はこの冒頭のシーンはすでにヨシカの妄想の中である。他人に声をかける勇気がないヨシカは通りすがりに見かけるちょっと気になる人を脳内で勝手に知り合いにして、自分の話を語り聞かせる妄想をしていただけだったことが、映画中盤で明かされる。

 冒頭の時点で観客はヨシカが一方的にモブに話しかける場面にうすうす違和感を持ちながらも、これが妄想の世界の中だとは気付かない。

 映画『勝手にふるえてろ』 では、妄想はいつの間にか迷い込まされた現実と紙一重の世界であり自覚的に宣言されることはない。

 小説の読者は冒頭でヨシカが選び取った妄想と、現実に対して吐かれる毒を安心して楽しむことができる。映画の観客はヨシカの妄想世界に違和感を持ちながらも迷い込み、妄想が破られていく悲痛を同じように味わっていく。ギャグシーンが笑えない不気味さを帯びてゆく。

 ヨシカを妄想世界に追い込んでいくのはBGMも鳴らない職場の現実だ。玩具メーカー経理部では無数の女性たちが機械のように電卓を打ち込み、洗面所で唾を吐き出し、光の届かない休憩室でスケジューリングされた睡眠をとる。6時の時計の針のように身体を"イチ"の形に伸ばしたヨシカは"イチ"と過ごした中学時代の夢に逃げるが、その夢もスマホのアラーム画面が光って破れ、再び職場に連れ戻される。

 そこで出会った"ニ"は一方的な好意からヨシカに付きまとい、"イチ"との再会を目論むヨシカのプライベートを侵犯していく。

 映像化されたヨシカが生きる現実はあまりに窮屈な生きづらさに満ちている。原作を超えるこの絶望的な生きづらさは、2017年の社会を反映している。

 終盤、休職を決意したヨシカが「赤の他人に這いつくばらせて平気でてめえのゴミの回収させてる人間が他人に好かれようなんて虫が良すぎたわ」と自分と職場と社会への呪詛をぶちまけるセリフに、この映画が吐き出し続けた現代社会への批判が凝縮されている。

 

 自ら妄想を選び取るオタク女子の強さはそこにはなく、現実の生きづらさから逃げ込まざるを得なかった妄想さえも破壊される、オタク女子の敗北だけが残った。

 ポップな毒は失われ現実の痛みが胸を刺す展開にパンクブーブーが入り込む余地は最早ない。

  原作が映画に変わる7年の月日の間に、パンクブーブーは死んでいた。

勝手にふるえてろ [DVD]

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勝手にふるえてろ (文春文庫)

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