とろろ豆腐百珍

朧夜や誰れを主と言問はむ

タレイランとフーシェ、あるいは『タレイラン評伝』と『ジェゼフ・フーシェ』

 フランス史に燦然と輝く英雄ナポレオンの時代を語る際、タレイランフーシェの二人は憎むべき変節漢として軽蔑されるのが常である。革命の時代から所属する党派を次々と乗り換え、その都度地位を上昇させていった点、同時代の人々からの悪評を全く意に介していなかった点、さらに、互いに忌み嫌いながらもナポレオンとその天才を利用し合わなければならなかった点で二人の陰謀家は共通している。そしてナポレオンとその栄光に最後のとどめを刺したのもこの二人だった。一方で、伝統ある貴族の家の出で、ユーモアと話術の達人として有名で、数多くの愛人と私生児を作ったタレイランに対して、船乗りの家に生まれ、不気味な印象を与える不愛想さで知られ、家庭では妻に頭の上がらない善良な夫であったフーシェといったように、二人は対照的な面も持ち合わせていた。

 先日古本屋で絶版になっている中公文庫の『タレイラン評伝』を手に入れたので、ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』と並べて、面白かった点をいくつか書き連ねてみたい。(もちろん最近の論文も研究動向も把握していない素人の考察に過ぎないので、上記の二つの伝記に登場する”タレイラン”と”フーシェ”というキャラクターに関する読み物として受け取っていただければ)

 

タレイラン評伝 上巻 (中公文庫 D 23-2)

タレイラン評伝 上巻 (中公文庫 D 23-2)

 

 (著者はチャーチルの側近として外務大臣を務めた人なので英仏協調路線のタレイランを過大評価)

 

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

 

 中曽根元総理が愛読書の一つにあげてたらしいが、これを愛読書と公言する政治家は嫌だなあ・・・)

 

 タレイランフーシェは最後にナポレオンを見放したという点で共通しているので、そこにばかり注目してセットで語られるが、ナポレオン時代に至るまでの革命時代の二人の経歴には大分差がある。

①革命以前

 二人とも1789年の革命以前には教会でカトリックの教えを学んでいた。ただし家柄のおかげでタレイランはオータンの司教という高位にあったのに対して、フーシェは正式な僧籍にも入らず物理学を教える一介の僧侶教師に過ぎなかった。

 面白いのはこの若い頃に、タレイランはサロンの人気者としてパリの上流人士と交わり、ミラボーや後の英国首相のピットといった人々と知り合っているのに対し、フーシェは工兵大尉だったカルノーや弁護士時代のロベスピエールと友情を結んでいることだ。すでにこの頃からフイヤン派ジャコバン派という二人が後に属する党派の面々と親しくなっていたことがわかる。

②革命勃発~国王処刑

 革命が起こると二人は政治の世界に足を踏み入れたが、その際にタレイランは司教でありながら教会財産の国有化を提案し、教会を議会の管理下に置く「僧侶の市民憲法」に宣誓したうえ、バチカンに無断で勝手に新たな司教を叙任してしまった。これが原因となってタレイランバチカンから破門されてしまう。

 フーシェは平民身分で代議士に選出された当初は議会で多数を占める穏健共和派として活動していたが、1793年1月のルイ16世の裁判の際に死刑に票を投ずることで過激共和主義者、すなわちジャコバン党に鞍替えした。

暴君の数々の罪状は明白となっており、万人をして憤懣措く能わざらしむるものがある。彼の首にしてもし即刻刃のもとに落ちなければ、泥棒や人殺しどもが一斉に頭をもたげて横行するもまたやむを得まい。(中略)時代はわれわれにくみし、地球上の全国王に反するものである。

 投票の前日には友人に向かって熱心に国王助命の演説を行っていた男が、翌日には国王死刑に票を投じ、投票が終わった次の日にはもうこれほど激烈な宣言文をばら撒いていたというのは鮮やかといいたくなるほどの転身だ。ツヴァイクはこの時のフーシェを「もし助命に投票すれば、間違った党に、自分の決してくみしたくないただ一つの党、少数党に属するであろうということを見て取っていた」と語り、「彼の知っている党はただ一つ、これまでも忠実だったし、死ぬまで忠実であることをやめない党、すなわち有勢な党、多数党である」と評価している。ちなみにルイ16世の処刑が一票差で決定されたという誤解があるが、このフーシェの鮮やかな転身が、裏切り者の一票で国王の命運が決まったという劇的な展開を人々に想像させて俗説を生んだのかもしれない。ともかく、ジャコバン派になったフーシェは総督として恐怖政治の時代に地方の富豪やキリスト教会を徹底的に攻撃しはじめた。革命前は僧侶だった人間が十字架やキリスト磔刑像を破壊してまわったのだ。タレイランフーシェも信心深さとは無縁の人だった。

ジャコバン派独裁時代

 ジャコバン派が権力を握り、貴族階級への弾圧が強まると、タレイランはさっさとイギリスに亡命してしまった。そして他の亡命貴族とパーティを開いて貴婦人に手を出し、イギリスに居づらくなると今度はアメリカに渡って賭博で財産を築いて遊び暮らしていた。

 一方フーシェは俳優上がりの同僚デルボアとともに、反乱を起こしたフランス第二の都市リヨンに対する破壊命令を忠実にこなし、ギロチンによる処刑を「あまりにまだるっこい」として大砲を使った虐殺や自ら墓穴を掘らせた後の銃殺などの手段を使って2000人近くを処刑した。

 ところがジャコバン派内での内部粛清の嵐の末に唯一人者になったロベスピエールによってこの虐殺が行き過ぎだとして批判されることになる。被告人としてパリに呼び戻されたフーシェはかつての親友に議会で勝てないと悟るや地下に潜行して、同じように地方から呼び戻された派遣議員(バラス、タリアン、デルボアなど)や公安委員会内の穏健派(カルノーなど)といったロベスピエールの影に怯える人々を糾合してクーデターを計画、熱月9日ついにロベスピエールを打倒するに至る。フーシェは絶体絶命の窮地に追いやられた状態から、逆に恐怖の裁判官ロべスピエールをギロチン送りにしたのであった。

 面白いのはクーデター前日の熱月8日と運命の熱月9日の両日を欠席して現場に居合わせなかった議員が一人だけいたことだ。そしてその議員こそ陰謀の首魁であるフーシェその人だった。ツヴァイクは「休息し欠席してもいいのだ。なぜなら彼の仕事は仕上がってしまっており、網の目も結んであり、あまりに強くあまりに危険な人物をもはや生きたまま逃がさないという決意を、とうとう多数の者も固めてしまったからである」と書いている。この徹底したまでに裏で糸を引く姿勢には魅力さえ感じてしまう。

「君もリストに載っていますよ」

「君はこんど追放される番ですね」

フーシェが他の議員に耳打ちしてまわる場面。相棒の小野田官房長かよ)

④総裁政府時代

 ロベスピエールを打倒して権力を握ったテルミドリアンたちだったが、もともとが敵対者に対する恐怖によって結びついていただけの集団のため、すぐに仲間割れを起こすことになる。リヨンの虐殺の責任を全て同僚のデルボアに押しつける形でしばらくは地位を保っていたフーシェも一時失脚することになった。一方で時代の旗向きが変ったことを察したタレイランはアメリカからデンマーク経由でフランスへと舞い戻ってきた。

 1795年に憲法が改正されて五人の総裁からなる総裁政府が発足すると、その筆頭の地位にバラスが就いた。この「生涯ただ賄賂を取るために生きていたような男」「悪徳の士」と呼ばれた男によって、タレイランフーシェ、ナポレオンという三人が舞台に上げられることになる。まず1796年にバラスは愛人のジョゼフィーヌをかつての副官ナポレオンに妻として与え、イタリア方面軍総司令官に任命した。

 1797年になって王党派が力を持ち始めるとバラスはタレイランを総裁政府の外務大臣に就任させる。これはスタール夫人の仲立ちによるものだが、バラスは回顧録でタレイランは金に汚い男で本当は大臣にしたくなかったと主張する一方で、タレイランは回顧録でスタール夫人に説得されてしょうがなくバラスに会って大臣になったと言っている。バラスもタレイランもこの時期に各国の要人から収賄を受けまくることで儲けているので、金に汚いどうし同族嫌悪といったところか。またバラスは同じころにフーシェを今でいう警視総監の地位に抜擢している。そしてフーシェの情報網とタレイランの人脈を利用することで王党派を追い落とし、政府の延命に成功した。

 バラスのおかげで総裁政府の要職についたタレイランだったが、腐敗によってバラスと総裁政府が信頼を完全に失ったと見るや、国民の信頼を得た政府を作るために総裁政府を内部から破壊しようと画策をはじめた。まず総裁の改選を利用して議会を動かし市民に人気のあるシェイエスを総裁の一員に加え、バラスとの二頭体制にすることで、残り三人の総裁を無力化した。この時期、政府の混乱からジャコバン派が再び活発になってきていたためシェイエスはフーシェを警察大臣に昇進させている。フーシェはかつての同志であるジャコバン派のクラブを躊躇うことなく封鎖して彼らを解散させてしまった。

 政府内部の混乱を聞きつけ、軍隊を放置してナポレオンがエジプトから帰国すると、タレイランはクーデターのための武力を欲するシェイエスとナポレオンの間を仲介して陰謀を練り、霜月18日のクーデターを成功させた。バラスらは追放され、総裁政府は瓦解して、統領政府が成立した。このクーデター当日の夜に、タレイランは前もって招待されていた夫人の家で優雅に晩餐を楽しんでいたという。この余裕のある態度は、テルミドールのクーデターの際のフーシェを思い出させる。彼らにとって陰謀は実行に移される前に完成しているものなのだろうか。

 

 統領政府の成立後はナポレオンが第一統領、終身統領として独裁を行い、フーシェの提案によって元老院でナポレオンを皇帝とすることが可決されて第一帝政が始まるのだが、こうして見てきてわかるのが、タレイランフーシェの粛清の危機に対処するスタンスの差だろう。今までは奉じる主義を状況に応じて変えるだけだったフーシェも、ロベスピエールによって絶体絶命の危機に追いやられると、直接反撃に出てこれを打倒している。一方のタレイランはそもそも粛清の手がのびてくる前にさっさと逃げ出してしまっているのだ。

 ここに二人の権力欲の差が伺えるようで面白い。常に権力の座の近くにいたいフーシェには逃げるという選択肢がなかったのではないか。だからこそロベスピエールを倒すことはフーシェにしかできなかったのではないか。息の長さ(フーシェ復古王政の初期1915年に失脚するが、タレイランは1930年の七月革命にも一枚噛んでいる)ではタレイランの勝ちだが、パリに残っていてもタレイランロベスピエールを倒すことはできなかっただろう。

 また、『タレイラン評伝』を読んでいて感じるのは、フーシェの転身が完全に権力欲と自己保身のためなのに対して、タレイランのそれは自らの政策を実行するための必要に迫られてのものだったのではないだろうかということだ。彼がフランスのために最上と考えていたのは常に英仏の協調とヨーロッパ各国の勢力均衡を目指すことで、そのために、政府の信頼が無くて外交交渉が困難ならば総裁政府を覆し、皇帝の野心が度を越して勢力均衡を不可能にするならば皇帝を売り、七月革命政権が国際社会で認められるためなら75の老体をおしてロンドンに赴くといった具合に。ただ、それに伴って二次的に得られる利益だけはいつもありがたくポケットにおさめてきたから非難されるのだろう。

 タレイランに捧げられた各方面からの評価を並べるだけで面白い。

「ペリゴールの神父は、金で魂を売ろうとしている。が、それもいいだろう。どうせ、糞と金とを取り引きする奴だから」(ミラボー

「実に不愉快な顔をした人物で、女の腐ったような悪だくみを致しますので、性質も心がけもあまり素直でないと申し上げてよいかと存じます」(スタッフォード夫人)

「神に背いた人間で、偽善家で、その他ありとあらゆる悪名にふさわしい」(ウィリアム・コベット)

「絹の靴下に糞の詰め物をしたようなものだ」(ナポレオン)

 一方で、最初は世間の評判どおりに嫌っていたのに、何度か会って話しをしているうちにすっかり虜になってしまった女性が伝記の中に何人も出てくる。天性のナンパ師である。

 

 タレイランのヨーロッパ各国の勢力均衡を目指す外交方針はメッテルニヒビスマルクらに引き継がれ、フーシェが創設した秘密警察システムも米・英・独・露各国に取り入れられていった。

 タレイランには一見して飄々としているが、実は芯の通った生き様というかっこよさがあり、フーシェの全てのものを出し抜いていくしびれるように天才的なクレバーさも魅力に感じてしまう。

 英雄に対して裏切り者、変節漢というのはとかく悪役として描かれてしまうものだが、彼らもまた時代の主役であり、その視点に立つことで新しい世界が見えてくるかもしれない。と、いい感じに締めたが、結局僕がニッチな脇役が好きってだけです。(タレイランフーシェをニッチと言ったらフランス史マニアから怒られそうだが)

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

 

 (最近はこちらのタレーランの方が有名)