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とろろ豆腐百珍

朧夜や誰れを主と言問はむ

堕落論(坂口安吾)

坂口安吾の文は悪文です。ただしただ美しいだけの美文と違って安吾にしか書きえない悪文です」

 坂口安吾の「日本文化私観」を扱うときに高校の先生がそう言った。自称アマチュア最強の元キックボクサーで「教科書に載っている小説なんてクソです」が口癖だったその先生が珍しく称賛したのが印象に残っていたのか、大学1年の夏休みに安吾白痴・二流の人 (角川文庫)を手に取った。そして冒頭の「風博士」にガツン、と圧倒され、すっかり安吾のファンになってしまったのだ。

 となれば、小説だけでなくエッセイにも手を出すのは必然で、すぐに同じく角川文庫から出ていた『堕落論』も読んだ。夏のフェアにもなってたし。

 

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

 

(「堕落論」以外にも「青春論」「戯作者文学論」などエッセイ13編が収録)

 これが『白痴・二流の人』以上の衝撃で、特にはじめて全文を読んだ「日本文化私観」に伝統をありがたがるばかりの自分に痛打を加えられ「青春論」を前に、高校生~大学生特有の世の中をナメるように斜に構えて生きていた自分がすっかり恥ずかしくなってしまった。

 それから一年。安吾の他の作品も読んだ。太宰も織田作も、志賀直哉も読んだ。そして今日、時間があって再び『堕落論』を読み返した。

 

 まあ感想としては「やっぱ安吾好きだ!」なわけで。

 

 個々のエッセイでは「日本文化私観」「青春論」は相変わらず身につまされてよかったのだが、完成した「女体」を読み、矢田津世子との恋を描いた「二十七歳」「三十歳」を経たからか「戯作者文学論」における安吾の苦闘がより克明に伝わってきた。

 そしていくつかのエッセイで語られる、戯作性(=面白さ)を排除してマジメな態度なのがホンモノの思想だと信じている、という志賀直哉に代表される純文学界に対する批判など、まさに幾つかの小説を読んで僕が感じていたモヤモヤそのもので大いに共感した。

 13編の中でも一番好きなのは自殺した太宰治について書いた「不良少年とキリスト」だ。太宰の自殺はフツカヨイに過ぎないと皮肉っているが、その皮肉や批判から”どうして死んじまったんだ”と言わんばかりの切なさがにじみ出ている。冒頭の歯痛への嘆きとの落差もあって最後の「学問は限度の発見だ。私は、そのために戦う」という宣言が悲痛に感じる。

 

 歯が痛い、などということは、目下、歯が痛い人間以外は誰も同感してくれないのである。人間ボートク! と怒ったって、歯痛に対する不同感が人間ボートクかね。然らば、歯痛ボートク。いいじゃないですか。歯痛ぐらい。やれやれ。歯は、そんなものでしたか。新発見。

 (名言。ここから真面目な話に持っていくのがすごい)