とろろ豆腐百珍

親知らずの炊いたん食べたいね

世界に一つだけのあらすじ

 ぷらっと入った本屋で何気なく本を選ぶとき、みなさんは何を基準に手に取る一冊を選ぶだろうか。お気に入りの作者の名前? きれいな装丁? 値段? どこに目を付けるかは人それぞれだが、こと文庫本の場合多くの人は棚から抜き出した一冊を手の上でひっくり返して裏表紙に目をやるのではないだろうか。

 文庫本の裏表紙、そうそこに書かれているのは”あらすじ”である。岩波文庫など一部を除いて大抵の文庫本の裏表紙には五~十数行の文章でその本のあらすじが紹介されている。時に”あらすじ”には内容だけでなく、受賞歴だったり著者の略歴だったり印象的なフレーズだったりが盛り込まれている。

 ”あらすじ”は本の中で唯一、作者ではなく出版社が書き込むことを許された文章であり、多くの読者予備軍がまず目にする文章。裏表紙は社運を賭けた売り上げ競争の最前線であり、わずか数行の文章によって競い合う熾烈なバトルフィールドなのだ!

 

一九五〇年七月二日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇・・・・・・。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。

 

 これは三島由紀夫金閣寺 (新潮文庫)の裏表紙に書かれた”あらすじ”である。

 月日を最初に持ってくることでニュース記事のように金閣寺焼失という実際の現実社会の事件との関連を提示し、続く文で犯人の学僧が主人公であることと、彼が障害を持って生まれ、生を呪い、金閣の美にとりつかれて放火に至るというストーリーの経緯をたどり、最後に作者が有名な三島由紀夫であることをアピールしつつ不朽の金字塔という殺し文句で名作認定する。

 実に模範的な”あらすじ”である。「ついには幻想と心中するにいたった悲劇・・・・・・」なんて言われたらそりゃどんな悲劇なのか気になるってものだ。しかもなんたってあの三島由紀夫の「不朽の金字塔」なんだから面白いに違いない。

 どうです? レジに並びたくなりませんか?

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真・・・・・・。

 

 これは誰の作品か、言わなくてもわかるでしょう。そう、村上春樹海辺のカフカ (上) (新潮文庫)です。この”あらすじ”を見せるだけで読んだことのない人にも村上春樹の作品だと伝わるような、見事な”あらすじ”だ。

 このように内容を説明するというよりも、本文の文体をマネることで作品の雰囲気を伝えることに徹している”あらすじ”もある。

 

 ぴゅんという音を引いて飛来した紙片が代官・黒田玄蕃の手に突き刺さる。

「ぐぬっ! 何奴!」

 紙片に輝く白黒の帯は、裏稼業の印・書籍JANコード

「この紙・・・・・・裏表師か!」

「ご明察だ黒田玄蕃! ISBNコード密造の罪は重いぞ! 神妙にしやがれ!」

「洒落臭い! 貴様の弱点はもう割れておるわ! 裏表師は裏表紙にしか出られないのだろう!」

「どこでそれを!」

「ねぇねぇ越後屋

「なんでしょうお代官様」

「なんでもない」

「そうですか」

「やめろ! 行を消費するな!」

 裏表師最大の危機。だがその瞬間、ぴゅんという音を引いて紙片が飛んだ。

「ぐぬっ! 何奴!」

「あたいは背表師」

「背表師だと!」

「しまったここは裏表紙うぐぐ」

 背表師は死んだ。

 屋敷の庭の鈴虫が悲しげに鳴いていた。

 

 続いては裏表紙に咲いた変わり種、独創短編シリーズ 野崎まど劇場 (電撃文庫)より「裏表師~文庫裏稼業世直し帳~」です。裏表紙には”あらすじ”という常識を逆手にとった手法。というかこの本全編こんな感じ。

 ちなみに折り返し部分のあらすじには「この本を許せた時、君はひとつ大人になる――」というメッセージが書かれている。

 

張飛は死なず。呉への報復戦を劉備自ら率いる蜀軍は、関羽を弔う白亜の喪章、張飛の牙旗を掲げ、破竹の勢いで秭帰を制した。勢いに乗る蜀軍に対し、孫権より軍権を委ねられた陸遜は、自軍の反対を押し切り、夷陵にて計略の秋を待つ。一方、自らの生きるべき道を模索し、蜀を離れゆく馬超。呉の臣従に対し、不信感を募らせる魏帝・曹丕。そして孔明は、呉蜀の決戦の果てに、遺された志を継ぐ。北方<三国志>衝撃の第十一巻。

 

 これは北方謙三三国志〈11の巻〉鬼宿の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)のもの。僕の好きな”あらすじ”の一つだ。といっても呉への報復戦だの陸遜だの孔明だのはどうでもよい。「張飛は死なず」北方御大のハードボイルド感を伝えるには冒頭のこの一文だけで十分だ。さすがにこの一文だけじゃあらすじにならないけど。

 

 さて、色んな”あらすじ”を取り上げてきたけれど、中にはこれはどうなの? というものもある。一番大きいのがネタバレだ。”あらすじ”はあくまで導入であって、もっとも肝心な部分は読者が本文を読んではじめて分かるようになっていなければならない。

 そこで最後に今まで遭遇した中で一番酷いネタバレ”あらすじ”を紹介しよう。ネタバレといってもホラーやミステリー小説ではない。19世紀を代表する大作家バルザックの『ゴリオ爺さん』だ。

 

奢侈と虚栄、情欲とエゴイズムが錯綜するパリ社交界に暮す愛娘二人に全財産を注ぎ込んで、貧乏下宿の屋根裏部屋で窮死するゴリオ爺さん。その孤独な死を看取ったラスティニャックは、出世欲に駆られて、社交界に足を踏み入れたばかりの青年だった。破滅に向う激情を克明に追った本書は、作家の野心とエネルギーが頂点に達した時期に成り、小説群《人間喜劇》の要となる作品である。

 

 『ゴリオ爺さん』を読んだことのない人は、これのどこが問題なんだと思うかもしれない。

 僕はこの”あらすじ”を読んで本を買ったとき、『ゴリオ爺さん』という作品は青年ラスティニャックがゴリオ爺さんの死に追いやった社交界とどう交わっていくかを描いた作品なのかな、と思った。おそらく多くの人が同じような予想をすると思う。

 ところがこのゴリオ、読んでも読んでも死なないのである。300ページを過ぎてもまだぴんぴんしている。ゴリオが元気なうちに、下宿に脱獄囚が紛れ込んでいたり娘が旦那に捨てられたりと次々と事件が起きていく。結局、ゴリオ爺さんが死ぬまでに全508ページの中の500ページが消費され、物語は娘二人に代わってゴリオ爺さんの埋葬を済ませたラスティニャックが、墓地がある丘の上からパリを見下ろしながら社交界との戦いを決意するところで終わってしまう。

 『ゴリオ爺さん』は爺さんが死んでからの話なのではなく、爺さんが死ぬまでの話だったのだ。ところが”あらすじ”の二行目で早くも爺さんが死んでいるので僕は爺さんが死んでから話が展開するのだと勘違いしてしまった。

 小説の中にはストーリーがわかっていても問題でない作品もある。先程の『金閣寺』でいうなら、美の象徴である金閣に主人公がどういう心情を抱き、それが変化していったのかという点こそが重要なので、最終的に主人公が金閣に放火するという結末を知っていても問題ない。だからこそ『金閣寺』の”あらすじ”はその結末を”ネタバレ”している。

 確かに『ゴリオ爺さん』の本質もパリ社会の格差を描いたことであって、単純にストーリーだけでは読み解けない。しかし同時に『ゴリオ爺さん』はエンタメ小説でもある。下宿の面々それぞれの滑稽な生活が描かれたり、謎の男ヴォートランがラスティニャックをアウトローの世界に誘惑したりと、読者を楽しませて先へ先へと読ませる仕掛けがされている。

 この”あらすじ”は『ゴリオ爺さん』の持つエンタメ性を軽視して、格差というテーマばかりを宣伝しようとしたために生まれてしまったのだろう。

 

 去年、本屋でこの新潮文庫の『ゴリオ爺さん』が平積みになっているのを見かけた。聞けばトマ・ピケティだかピケ・トマティだかが『ゴリオ爺さん』を格差社会の象徴として取り上げたおかげだという。検索してみたら読書メーターのコメントにも「ピケティさんの指摘する格差社会が訪れてしまわないよう私たちの意識を変える必要がありますね」なんて投稿ばかり上がっていた。この状況だったらあの”あらすじ”も逆に効果的かもしれないなと苦笑いしたことを思い出す。

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)