読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とろろ豆腐百珍

朧夜や誰れを主と言問はむ

晩翠詩抄(土井晩翠)

甲子園と応援歌と - とろろ豆腐百珍(前回の記事)

 この前ちょっと調べた寮歌について。その「大志を抱け」的(魁!!男塾的)漢語の多くが当時(明治後期~大正時代)流行していた土井晩翠の詩からパク・・・本歌取りしたものだと知り、その時代の若者がどんなものに共感していたのか気になって晩翠の詩集を読んでみた。

 

晩翠詩抄 (岩波文庫)

晩翠詩抄 (岩波文庫)

 

滝廉太郎作曲の「荒城の月」の詩も載っている)

 

 まず感想から言わせてもらうと、つまんねぇ・・・。

 解説でも指摘されている通り、同じ語句の使い回しやリフレインが多すぎる。一つの詩で二十回以上”~や”だの”~ぞ”だの感動を示されてもウンザリである。情景も”夜半”の月、”夕”の雲で半分以上占められているのではないかという単調さ。世界平和の”霊”だのが所々で出てくるのも現代感覚で読むと胡散臭さを増すばかりだ。七五調の文章がほぼ全篇にわたって延々と続くので変化がなく、お経を読んでる気分になってくる。

 と、個人的には好きになれない作品だったし、再版にあたって解説が書かれた70年代よりもさらに読者から漢語的文章への素養と興味が失われている現代では、解説者が期待するような「晩翠は今読まれていないが又時代が変ってくれば再評価される時がくる」ことは二度とないと思うが、当時の旧制高校生たちに受け入れられたというのは理解できた。

 晩翠の処女詩集『天地有情』が世に出て、『若菜集』の島崎藤村と並び「藤村晩翠時代」と賞されたのは明治32年=1899年。

 維新以来進めてきた富国強兵の実が日清戦争の勝利というわかりやすい形で現れてから四年、日本が世界の中で着々と地位を上げているという実感を国民が感じ取っていた時期だろう。いわばイケイケドンドンの時代だ。しかも自分たちの先輩の若い官僚がその中心となって日本を動かしはじめている時代。「俺たちもやってやる」という気概を彼らは抱いていたはずだ。

 そんな彼らは晩翠の単純ながら力強い「漢の意気」に共感したに違いないし、小難しくて大仰な漢語も壮大な志を感じさせるものだった。つまり彼ら自身、時代自身が”~や”、”~ぞ”の大言壮語で気を大きくしていた時代だったのだ。

 僕自身は現代の若者として晩翠に共感することはないけれど、晩翠に共感することのできた当時の若者が滑稽だけど少し羨ましい。

 

(余談だが、「荒城の月」と並ぶ晩翠の代表作「星落秋風五丈原」も全国の寮歌と同じように創価学会の学会歌に使われているらしい。「星落秋風五丈原」は病を得ても三顧の礼以来の君恩に報いようとする諸葛亮の悲愴な忠義を謡ったものだが、こういう滅私奉公的な精神性が好まれるのだろうか。晩翠の詩は宗教的観念が強いものが多いので学会歌と親和性が高いのはなんとなくわかる。まあそういうところも気に食わなかったんだけど)

 

 

スタンド・バイ・ミー(スティーヴン・キング)

 『スタンド・バイ・ミー』は郷愁の物語だ。物語の語り手は作家になった仲間の一人であり、冒険をともにした四人の友情は少年時代とともに終わりを告げ、バラバラになった彼らのうち三人は悲劇的な最期を遂げる。特に主人公であるゴードンから離れていったバーンとテディ、二人の死は後日談であっさりと片付けられてしまう。大人になった(子どもでなくなった)ゴードンにとって、もはや二人は単なる田舎の不良でしかなくなってしまった。ゴードンが懐かしむのは少年時代の二人であって大人になった二人ではない。

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

 

 (映画のエース役はジャック・バウアーの俳優の若かりし頃らしい)

 中流家庭出身のゴードンと、下流家庭出身のクリス、バーン、テディあるいは”頭の出来がいい”ゴードンとクリスと、”出来が悪い”バーンとテディが仲良くやって行けるのは子どもの今だけで、成長すれば四人は決して交わることなく別々の道に進むことになるだろうことは物語の中でほのめかされている。

 階級だとか頭の良さだとかを気にせずに付き合っていられるのは少年時代だけで、成長するに従って自分と同じような出自の人間と過ごすように環境が変わりその環境にふさわしい価値観が植えつけられていくと、子どものころに付き合っていた連中がつまらない奴らに思えてくる。それが大人になるということで、だからこそ作中で描かれるような純粋な友情は少年時代にしか存在しないし、多くの大人がこの作品を読んでいっとき自らの少年時代を振り返り懐かしさを覚える。

 ・・・・・・というのが僕の『スタンド・バイ・ミー』という作品の解釈なのだが、この友情観では結局、出自や頭の出来が違う人間とは解りあえないということになってしまう。けど、それが必ずしも正しいとは思わない。僕自身、小学校・中学校時代からの友人で、偏差値的には県内で一番差があるような高校に行った連中と今でも交遊が続いている。だから、『スタンド・バイ・ミー』に描かれている少年時代の想い出はノスタルジックで美しいと思うが、友情をテーマにした作品としては余り好きになれなかった。

 少年時代の友情が大人になって一層輝きを増すという点で、『カシオペアの丘で』の四人の方がはるかに美しい。

 

カシオペアの丘で 上 (講談社文庫)

カシオペアの丘で 上 (講談社文庫)

 

 (小説を読んで初めて号泣した。ユウちゃんの独白はずるいよ)

 

甲子園と応援歌と

 テレビを付けた瞬間7-0という点差が目に入ってこれは負けたな、と思った。仙台育英強かった。早実の選手もお疲れ様です。

 我が家の両親は早稲田OBのため今年の甲子園は缶ビールを片手にテレビに向かって「早稲田!早稲田!早稲田!オー慶応倒せ~!!」などと叫んでいる。(相手が今治西だろうが東海大甲府だろうが仙台育英だろうが「慶応倒せ」になっている)

 そして勝てばその夜は同じく早稲田OBの叔父二人を呼んで祝勝会と称して酒を飲み、「紺碧の空」の大合唱である。野球を口実にただ騒ぎたいだけなのは見え見えだが、卒業三十年たってもまだ応援歌が口をついて出るとはげに体育会の恐ろしさよ。

 

 早稲田や慶應は歴史が長い分特にその傾向が強いのだろうが、大学の校歌や応援歌は中学や高校のそれと比べて愛着を持たれている気がする。小中高の場合は年に数回の式の最初に流されて歌うだけなのに対して、大学では対外試合の応援や同窓会で流れるから、学生に身近なイメージがあるのだろうか。あと飲み会。伝統ある部やサークルだとOBが多いだろうし。

 校歌、学生歌それ自体が有名になっている例も多い。「都の西北」だったり「若き血」だったり「都ぞ弥生」だったりはカラオケにも入っているしね。

 

 と、ここまで書いて、うちの大学の校歌なんて聞いた覚えがないことに気付いてしまった。調べたところ、どうやら旧帝大に限っては戦前まで校歌がない大学のほうが多かったようだ。帝国大学官吏の養成機関という位置付けだったため校歌は不要という考えがあり、その後新制大学になっても、旧制高等学校から受け継がれてきた寮歌や学生歌がすでにあるため新しく校歌を作る必要を感じないまま今に至る・・・というケースが多いようだ。

寮歌 - Wikipedia

 Wikipedia大先生によると

一高(戦後東大)の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/aagyokuhai.html

三高(戦後京大)の逍遥歌「紅もゆる丘の花」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kurenai.html

北大予科の寮歌「都ぞ弥生」

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/miyakozo.html

が三大寮歌とされているらしい。逍遥歌ということは昔の高校生は散歩しながら「都-の花にー嘯けばー 月ーこそかかーれ吉田山」と口ずさんだということなのか・・・。バンカラだなあ。

 阪大で一番有名なのは「嗚呼黎明は近づけり」のようだ

http://www.eonet.ne.jp/~ougc117/others/Zenryouka.html

 

大先生によれば左翼運動歌の「嗚呼革命」の歌詞をパクっ・・・借用したものらしいが「嗚呼黎明は近づけり 起てよ我が友自由の子」って、現代の大学生だったら徹夜で宅飲みしてたらいつの間にか朝になっちゃった、って解釈にしかならない気がする。

 そして調べているうちに気付いたのだが、この歌を含めて昔の寮歌の多くが創価学会の学会歌に採用されている。

 国歌も校歌も一つの歌を集団内で共有して仲間意識を高める役割があるのだから、宗教団体が自分たちの歌を持とうとするのは分かるのだが、何故それを寮歌から取ってきているのだろうか。謎だ。そういう研究をした新書があったら読んでみたい。

 

We are Marinosu!!

 昨日のヴァンフォーレ甲府戦を日産スタジアムで観てきた。

 去年の夏に万博で観たガンバ戦以来一年ぶり。そして今月中に大阪に帰ってしまうので今年初にして(多分)最後のスタジアム観戦である。

 四時半に新横浜に着いてニンニンジャ―ショーを横目に見てた時は晴れてたのだが、試合が始まって五分もするとぽつぽつ来だして見る見るうちに土砂降りに。

f:id:yudoufuksk:20150817115201j:plain

ゲリラ豪雨ってレベルじゃねーぞ!)

 先に着いた友人に「ユニ着てなくても浮かないとこに席取っといて」と頼んだのにゴール裏の外れに・・・。おかげで雨の中立ちっぱなしで歌いっぱなしだぜ。久々すぎてほとんどチャント忘れてたので隣で飛び跳ねてる小学生の見よう見まねだったけど。

 後半は眼鏡がゴムの壊れたゴーグル状態になっていたのでコイコイしないと全くプレイが見れなかった。

 試合自体は三門ラフィーニャの一発で勝利! 合羽を持ってきてなかったので下着までぐっちょぐちょになったけど終わる頃には雨も上がって最高だった。

 

 濡れすぎてて帰りの電車で横アリから出てきた湘南乃風ファンに怪訝な眼で見られたが、お前らの「風伝説第二章雑巾野郎ボロボロ一番星」Tシャツもたいがいだからな!

 

 

 

清兵衛と瓢箪・網走まで(志賀直哉)

 学校の教科書だったか入試の過去問だったか忘れてしまったが、『清兵衛と瓢箪』を初めて読んだのは中学生のときだった。少年の趣味を潰してしまう周囲の大人たちへの反感が反抗期の心を掴んだのかもしれないが、何より気に入ったのが黙々と細かな手入れに打ち込む清兵衛の姿だった。瓢箪という古風なモチーフも、ぶっきらぼうな職人然とした清兵衛のイメージを引き立てていた。

 当時、車のメカニックや部品に精通した同じように無口な友人がいて、彼と清兵衛を密かに重ね合わせてこいつは将来トヨタかホンダのすご腕の職人になるに違いないと空想したものだ。

 

 志賀直哉の作品を読んだのはその一度きりたったが、大学生になった今もう一度『清兵衛と瓢箪』を読みたくなって短編集を一冊、手に取った。

 

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

 

  一番面白かったのはやはり「清兵衛と瓢箪」か。「剃刀」「濁った頭」も良い。

 

 文体の特徴として、日常の中で微妙に移ろう感情の機微を表現するのが抜群に上手い。しかし、それだけに動きのない日常風景の描写に終始して冗長に感じてしまう作品も多かった。この文体を好きならば「ある一頁」「老人」「母の死と新しい母」「鵠沼行」「出来事」あたりも面白く感じるのだろうが、自分には物足りなかった感がある。「出来事」などはまだ読めるが、「ある一頁」は初期の作品ということもあるのだろうが、読み進めるのがつらいほど退屈に感じる。これが何の娯楽もない新幹線の中でなかったら確実に投げ出していたろうと思うほどだ。

 

 床屋のおっさんにひげを剃ってもらっているときに、ふと「このおっさんの頭が今狂ったら俺は避けようもなく死ぬな」と考えながら目をつむっていることがたまにある。「剃刀」はまさしくその不安が現実化する話だ。町を行く誰もがほんの少しずつ積もった苛立ちを抱えていて、それが一気に噴き出す瞬間に居合わせないとも限らないリスクを無視しないと人は生きられない。

 

 「濁った頭」は、精神病院から出てきたばかりの友人の語りとして始まり、キリスト教の教えを守りながら性欲を抑えてきた男が一度女と関係を持ったため、駆け落ち、放浪、神経衰弱と堕ちていき、最後は温泉宿で女を殺して発狂してしまうというストーリーで、あまりのデカダンスっぷりに俺は坂口安吾でも読んでいるのかと思ってしまった。ただ面白いのは、この作品では男が女を殺すという形で二人の関係には一応の決着がつくということだ。

 これが安吾なら二人の泥沼は終わることなく続いていくだろう。

 太宰なら二人は心中して終わるかもしれない。

 志賀直哉にとってこの濁った生活は「鋭い光った長い錐が厚い台をぶつりぶつりと貫す」ようにして終わらなければならなかったということなのか。

夏の曲

諸君 私はJポップが好きだ
諸君 私はJポップが好きだ
諸君 私はJポップが大好きだ

西野カナが好きだ
オレンジレンジが好きだ
広瀬香美が好きだ
サザンが好きだ
いきものがかりが好きだ
ポルノグラフィティが好きだ
ZARDが好きだ
TRFが好きだ
EXILEが好きだ

松屋で ドトール
ローソンで ヨーカドーで
ドラッグストアで ショッピングモールで
海の家で スキー場で

この地上で流れる ありとあらゆるJポップが大好きだ

 

 (少佐。今まで生きてきて少佐を好きだとか公言しちゃう人間でまともな奴を見たことがない)

 

 

 はい、そんな感じです。もちろん、他のジャンルの曲も聞くしテレビでは流れないようなバンドで好きなバンドもたくさんあるけれど、Jポップが好きだ。

 

 最近は暑さでバテ気味の気分を少しでも盛り上げようと、夏の曲ばかり聞いている。

よく聞くのはジュディマリの「Over Drive」


Judy And Mary Over Drive(LIVE) - YouTube

 (このライブはドラムが楽しそうで好き。ちょっと小日向文世に似てる?)

この曲に続けて「自転車」なんて聞くと今すぐ自転車に飛び乗って出かけたくなる。


自転車 - YouTube

 

自転車と言えばこの曲。ちなみにゆずと同じ磯子区出身なのでこの坂も行ったことあるぜ!


ゆず - 夏色 - YouTube

 

「夏祭り」は盛り上がるのは白ベリだけどジッタリンジンの方が好きかな。


JITTERIN'JINN - 夏祭り - YouTube

(ドラムのスティックを打ち合わせるような音がたまらん)

 

サザンは「涙の海で抱かれたい」を聞くことが多い。バラードなら「涙のキッス」。

 

歌詞が好きなのは井上陽水の「少年時代」とかフジファブリックの「若者のすべて」とか。


井上陽水 少年時代.flv - YouTube

あと「Hot Limit」とか「ミュージックアワー」の暑さで脳がぶっ飛んだのかって歌詞も好き。ナマ足魅惑のマーメイド・・・R.N.恋するウサギちゃん・・・。


HOT LIMIT (1998)T.M.Revolution×氷川きよし - YouTube

(氷川きよしとのコラボ)

 

ふたりの夏物語」や「夏の日の1993」はあまり周りの世代に通じないのが悲しい。あと「夏の日の1993」の歌詞は完全にセクハラ。


ふたりの夏物語 杉山清貴 - YouTube

 

 そして夏と言えばTUBEだが、なんと新アルバムにゲレンデの女王広瀬香美が提供した新曲が収録されているらしい。その名も「おかげサマー」。曲名から漂うこの香ばしさよ・・・早く聞きたい!

 他にもB'zの松本作曲GLAYTAKURO作詞の曲、氣志團奥田民生の提供曲、さらには大黒摩季織田哲郎ビーイング勢提供の新曲など悪ノリが過ぎた豪華ラインナップである。必聴。

Your TUBE + My TUBE(初回生産限定盤B)(DVD付)

Your TUBE + My TUBE(初回生産限定盤B)(DVD付)

 

 

 

 

 

豆腐百珍

 このブログを始めるにあたって、タイトルを決めるのに散々悩んだ。何事も物事ははじめが肝心という。ブログのタイトルというのは見に来た人の目に一番最初に入るところだ。言うなればブログの看板である。当然、斬新かつ大胆、キャッチ―でありながらクリエイティビティあふれるものでなければなるまい。

 で、決まったのが「とろろ豆腐百珍」・・・・・・う~ん、どうなのこれ。

 

 『豆腐百珍』とは江戸時代に刊行された料理書のことだ。醒狂道人何必醇という浪漫あふれる名前の人が豆腐料理のレシピを計百種類解説し、格付けまでしてくれている。この本がなんとベストセラーになってしまい、続編が作られ『鯛百珍』『蒟蒻百珍』などの便乗本まで出てきたという。江戸時代の人はそんなに豆腐が好きだったのかね・・・。

 ま、詳しいことは

豆腐百珍 - Wikipedia

wikipedia大先生を見てもらうとして、僕がこの豆腐百珍という書物の存在を初めて知ったのは『美味しんぼ』の豆腐対決を読んだときだった。豆腐百珍自体は「豆腐料理の多様性」とそれ故の勝負の難しさを語るときに出てくるだけだが、この回は雄山が出す料理の情報を知ってしまい苦悩する山岡と、負けるとわかっていて敢えて勝負に臨む雄山の複雑な親心が心を打つ美味しんぼ中期を代表する名勝負なのだ。

 

美味しんぼア・ラ・カルト 43 豆腐 (ビッグコミックススペシャル)
 

 (美味しんぼと豆腐と言えば第一話の「ワインと豆腐には旅をさせちゃあいけない」の決めセリフを思い浮かべる人もいるだろう。初期の山岡はかっこよすぎるぜ)

 この豆腐百珍、現代語訳されたものが新書で出ているので、江戸の味を感じたい人は再現してみるのも一興だろう。

 

豆腐百珍 (教育社新書―原本現代訳)

豆腐百珍 (教育社新書―原本現代訳)

 

  ちなみにとろろ豆腐というレシピは載ってません。